アントニオ・テヘーロ

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アントニオ・テヘーロ(Antonio Tejero Molina 、1932年 - )は、スペインの元軍人1981年2月にスペインで発生した軍事クーデター23-F」の首謀者の1人である。

プロフィール[編集]

軍歴[編集]

マラガで生まれ、第二次世界大戦後の1951年グアルディア・シビル(治安警備隊)に入隊する。その後は冷戦下のスペインに軍事独裁体制を敷いていたフランシスコ・フランコ体制下で順調に昇進を進めた。

「ガラクシア計画」[編集]

フランコが1975年11月に死去し、フアン・カルロス1世国王によって王政復古が成し遂げられた。その後1976年首相となったアドルフォ・スアレス政権下においてスペインの民主化が進められたが、これを「左傾化」と捉えた軍部右派によって、国王を擁いた上での軍事独裁の復活を求める動きが活発化した。

この様な動きを受けて1978年11月に、中佐となっていたテヘーロと、サエンス・デ・イネストリージャス中尉らが、スアレス政権に対するクーデター計画「ガラクシア計画」を計画した。なおこの名前は、集会場として使用されていたマドリード市内の同名の喫茶店の名前を取ったものであった。しかし実行前に計画が表ざたになり、テヘーロは軍法裁判で11カ月の禁固刑の判決を受けた。

「23-F」[編集]

しかしその後、軍部右派が問題視していた状況に変化がなかったことから、陸軍副参謀総長のアルフォンソ・アルマダ・コミン将軍やミランス・デル・ボッシュ陸軍大将が軍事クーデターを画策し、中佐に帰り咲いていたテヘーロをクーデター実行部隊の中心に添えることとなった。

1981年2月23日の午後6時過ぎに、テヘーロ率いる約200人の治安警備隊員が代議院(下院)に押し入り、同年1月29日に辞任を表明したばかりのスアレス首相共産党サンティアゴ・カリージョ書記長社会労働党フェリーペ・ゴンサーレス書記長らを含む約350人の代議院議員を人質に取った。これに合わせてミランス・デル・ボッシュ陸軍大将率いる戦車隊がバレンシア市内に展開した他、マドリードのスペイン国営テレビ局を占拠した。

しかしその後ファン・カルロス1世国王の支持が得られなかったことからクーデターは失敗し、テヘーロとアルフォンソ・アルマダ・コミン将軍やミランス・デル・ボッシュ大将は逮捕され、軍法裁判で有罪の判決を受け実刑を受けることとなった。

服役[編集]

その後マドリード近郊の刑務所に入れられたものの、獄中から1982年に行われた総選挙に立候補し話題となった。なおテヘーロは、事件後25年経った2006年12月に最後の事件関係者として釈放された。

関連項目[編集]