アンティオコス1世ソテル
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| アンティオコス1世 Ἀντίοχος Α' Σωτήρ | |
|---|---|
| セレウコス朝の王 | |
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| 在位 | 紀元前294/281年 - 紀元前261年 |
| 別号 |
大王 諸邦の王 世界の王 バビロン王 |
| 死去 |
紀元前261年 |
| 配偶者 | ストラトニケ |
| 子女 |
セレウコス ラオディケ アパメー2世 ストラトニケ アンティオコス2世 |
| 王朝 | セレウコス朝 |
| 父親 | セレウコス1世 |
| 母親 | アパメー1世 |
アンティオコス1世ソテル(ギリシア語: Ἀντίοχος Α' Σωτήρ Antíokhos I Sōtḗr 「アンティオコス1世救済王」、? - 紀元前261年)は、セレウコス朝の王(在位:紀元前294/281年 - 紀元前261年)。セレウコス1世の子。
生涯
[編集]紀元前294年頃より、父セレウコス1世からユーフラテス川東方諸州の王として共同統治者に任命された。父が暗殺されたため紀元前281年に即位し、広大な領土の管理、都市建設に努めた。
シリアと小アジア北部の反乱を鎮圧し、マケドニア王アンティゴノス2世と交戦するが、ガリア人の侵入により紀元前279年に同盟へ転換する。紀元前275年にガリア人の侵入を撃破したことで、小アジアのイオニア人諸都市より、救済王(ソーテール)と称された。父王同様、都市建設とギリシャ人の入植活動を奨励したが、これは東方のパルティアやガリア人に対抗する上でも優れた政策であった上、ヘレニズム文化の拡大にも寄与した。
一方で、父ほどの軍事的才能はなかったようで、エジプトのプトレマイオス2世と戦い、フェニキアと小アジアの海岸地域を奪われた(第1次シリア戦争、紀元前274年 - 紀元前271年)。プトレマイオス2世と同盟したペルガモン王国との戦い(紀元前266年 - 紀元前261年)にも敗北したため多くの領土を失い、失意のうちに病死した。
子女
[編集]参考文献
[編集]- ポンペイウス・トログス / ユスティヌス抄録『地中海世界史』合阪學 訳、京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、1998年
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