アルダリオン・イグナチェフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
獲得メダル
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
陸上競技
オリンピック
1956 メルボルン 男子 400 m
ヨーロッパ陸上選手権
1954 ベルン 男子 200 m
1954 ベルン 男子 400 m
チュヴァシ共和国チェボクサルにあるイグナチェフの墓

アルダリオン・イグナチェフロシア語: Ардалион Васи́льевич Игна́тьев1930年11月24日 - 1998年9月24日)は、ソビエト連邦の陸上競技選手。1956年メルボルンオリンピックの銅メダリストである。ロシア連邦チュヴァシ共和国出身。

経歴[編集]

イグナチェフが最初にオリンピックに出場したのは、ソ連がオリンピックに初出場した大会でもある1952年ヘルシンキオリンピックである。この大会では、400mと4×400mリレーに出場し、ともに準決勝敗退している。

2年後の1954年にはスイスベルンで開催されたヨーロッパ選手権に出場。400mでは46秒6のソビエト新記録で、2位のフィンランドヴォイット・ヘルステンらを抑えて金メダル。さらに、200mでも、21秒1のソビエト新記録で西ドイツハインツ・フュッテラーに次いで銀メダルを獲得した。

1956年には、メルボルンオリンピックに出場。400mでは、上位4人による激しいレースが繰り広げられた。金メダルはアメリカチャーリー・ジェンキンスが獲得したことが明らかであったが、ドイツカール=フリードリッヒ・ハース、フィンランドのヘルステン、そしてイグナチェフの3人のメダル争いは熾烈を極めた。3人のうちハースがわずかに先着していたことからハースは銀メダルとなったが、イグナチェフとヘルステンはどちらが先着していたか審判は判断がつかなかった。電気掲示では、イグナチェフ、ヘルステンとも47秒15であったことから、両者とも銅メダル獲得となった。この大会では、イグナチェフは4×400mリレーにも出場したが、準決勝で敗れている。

イグナチェフのソ連国内での成績は、200mで1953年から4連覇。400mは1952年から1956年まで5連覇、さらに1959年も制し計6回チャンピオンに輝いている。また、200mでは7回、400mでは9回ソ連新記録を樹立。1955年に記録した400mで46秒0の記録は1939年にドイツルドルフ・ハルビッヒに並ぶヨーロッパタイ記録であった。

イグナチェフは、ソ連(ロシア)国内でも数多くの強豪ランナーを誕生させてきたチュヴァシ共和国で最初にオリンピックでメダルを獲得した選手である。

自己ベスト[編集]

  • 200m - 21秒0 (1955年)
  • 400m - 46秒0 (1955年)

主な実績[編集]

大会 場所 種目 結果 記録
1952 オリンピック ヘルシンキ(フィンランド) 400m 5位(sf) 47秒4
1952 オリンピック ヘルシンキ(フィンランド) 4×400mリレー 3位(sf) 3分12秒5
1954 ヨーロッパ陸上選手権 ベルン(スイス) 200m 2位 21秒1
1954 ヨーロッパ陸上選手権 ベルン(スイス) 400m 1位 46秒6
1956 オリンピック メルボルン(オーストラリア) 400m 3位 47秒0
1956 オリンピック メルボルン(オーストラリア) 4×400mリレー 3位(sf) 3分11秒2
  • sfは準決勝

外部リンク[編集]