アブー・ウバイド・バクリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

アブー・ウバイド・バクリーAbū ʿUbayd ʿAbd Allāh b. ʿAbd al-ʿAzīz b. Muḥammad b. Ayyūb b. ʿAmr al-Bakrī、1014年頃生 - 1094年没)は、アンダルスイスラーム教徒地理学者歴史学者である。著作のほとんどは湮滅に帰したが、残された『諸道と諸国の書』は、貴重な中世西アフリカに関する情報を伝える。イスムはアブドゥッラー・ブン・アブドゥルアズィーズ。普通は、ニスバにより短くバクリーと呼ばれる。

生涯[編集]

バクリーはウエルバにあった小国の王子として生まれた[1]。ニスバはバヌー・バクル英語版部族に属すことから。父のアブドゥルアズィーズは、後ウマイヤ朝の没落に乗じてウエルバで自立を宣言したが、長くは続かず、ムウタディド英語版アラビア語版によりウエルバの統治者の立場から退けられた[2]。バクリーはコルドバへ行き、そこで地理学者のウズリーと歴史学者のイブン・ハイヤーン・クルトゥビー英語版に弟子入りして彼らに学んだ[2]。その後はアルメリーアのカリフ、ムウタスィム(al-Muʿtasim)の宮廷に出仕し、生涯の多くの時間をそこで過ごした[2]。また、セビージャにも長くいたことがあり、1079年にエル・シッドがムウタディドの宮廷にアルフォンソ6世からの贈り物を持って来たときにも、セビージャにいた[2]。バクリーは、著書で触れた各地に実際足を運んだことは一度もなく、コルドバで亡くなった[2]

著作[編集]

バクリーが伝える10~11世紀のセネガル川流域の諸市

バクリーの地誌は、提示する情報が比較的客観的であるとされる[3]。バクリーは地域ごとに、地理、気候、主要な街を記載するだけでなく、そこに住む人々とその習俗、その土地にまつわるアネクドートも記載した[3]。バクリーの著作の多くは失われ、現代には二つしか伝わらなかった[2]。一つ目の Mu'jam mā ista'jam は、アラビア半島を中心とした地名が列挙してあり、地理的背景に関する序説が付されている[2]。二つ目の著作、Kitāb al-Masālik wa al-Mamālik (『諸道と諸国の書』)が重要である。

『諸道と諸国の書』は、ムハンマド・ブン・ユースフ・ワッラーク(904-973)やイブラーヒーム・ビン・ヤアクーブ・トゥルトゥーシー英語版といった商人や旅行者の報告や、その他の文献に基づいて1068年に書かれた[3]。西アフリカの歴史に関する最も重要な一次史料の一つであり、ガーナ帝国ムラービト朝、10~11世紀当時のトランス=サハラ交易について、かけがえのない情報を今に伝えている[3]。バクリーがイブン・ユースフ・ワッラークから得た情報は10世紀のものであるが、執筆時点で直近に起きた出来事についてもバクリーは書いている[3]

バクリーは、10世紀終わりごろのトランス=サハラ交易における交易センターの様子について次のように言及している。ニジェール川沿いの町や村では、まだイスラームが本格的に受容されておらず、ガオはムスリムの現地住民がいる数少ない街の一つだったという。

「都市ガーナは平野に位置する二つの街からなる。」「そのうちの一つはムスリムが住む大きな街であり、モスクが12軒ある。そのうちの1軒は金曜日の礼拝に集まる金曜モスクである。職業的な導師やムアッジンもいれば、ムフティーウラマーもいる」

『諸道と諸国の書』[4]

ガオとガーナのほかにも、西スーダーンには、大河の大湾曲部に沿って交易センターが存在した。11世紀にはこれらの交易センターについての報告が、アンダルスに入ってきており、バクリーはそれらの報告に基づくことで『諸道と諸国の書』を書くことができた。

『諸道と諸国の書』には、そのほかに、スカンジナビア半島に住む人々や、スラヴ人についても書いている[2]。これら10世紀の北欧や東欧についての記述は、ユダヤ人のイブラーヒーム・ビン・ヤアクーブ・トゥルトゥーシーの報告に基づいたものである[2]。バクリーの『諸道と諸国の書』はアラビア語圏で数世紀にわたって読み継がれた[2]

バクリーには、そのほかに、Aʿyān al-nabār あるいは Kitāb al-nabāt という題名の、薬草学に関する著作があったと考えられるが、失われている[2]。後代の学者が薬草学の権威としてバクリーに度々言及している[2]

出典[編集]

  1. ^ Lévi-Provençal, E. (1960), “Abū ʿUbayd al-Bakrī”, Encyclopaedia of Islam 2nd Ed. Vol. 1, Leiden: Brill, pp. 155–157 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l Vernet, J. (2008) [1970-80]. “Al-Bakrī, Abū ʿUbayd ʿAbdallāh Ibn ʿAbd Al-ʿAzīz Ibn Muḥammad”. Complete Dictionary of Scientific Biography. Encyclopedia.com. http://www.encyclopedia.com/doc/1G2-2830900238.html 2018年1月13日閲覧。.  (Vernet, J. (1970), “Bakrī, Abū ʿUbayd ʿAbdallāh Ibn ʿAbd al-ʿAzīz Ibn Muḥammad al-”, in Gillispie, Charles C., Dictionary of Scientific Biography Vol. 1, New York: Charles Scribner's Sons, pp. 413–414 )
  3. ^ a b c d e Levtzion, Nehemia; Hopkins, John F.P., eds. (2000) [1981], Corpus of Early Arabic Sources for West Africa, New York: Marcus Weiner Press, ISBN 1-55876-241-8  62–87ページにバクリーの『諸道と諸国の書』の西アフリカに関する著述の抜粋がある。62ページに解説あり。
  4. ^ From Africa, in Ajami”. Saudi Aramco World. 2018年1月12日閲覧。

発展資料[編集]

外部リンク[編集]