アッキレ・サン・ジョヴァンニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アッキレ・サン・ジョヴァンニ(Acchile San Giovanni、生没年不詳)は、明治時代にお雇い外国人として来日したイタリア画家である。

経歴・人物[編集]

1880年(明治13年)に工部美術学校(現在の東京大学)の教師として来日した。同年アントニオ・フォンタネージ及びプロスペッマ・フェレッティの後任として同学校に雇われ、画学彫刻学芸術に関する学問や解剖学等の教鞭を執ったり、その科目を同学校に採用させたりした。また、人物像を中心とした絵画、彫刻授業も行った。

同時期に前任のフォンタネージとは異なる技法を用いて、第2回内国勧業博覧会で自身の作品を出品する等、現代美術における西洋化に貢献したり、明治時代における外国人画家として名を馳せた。門下には曾山幸彦堀江正章藤雅三らがおり、著名な芸術家を輩出した。1883年(明治13年)同校の閉鎖により帰国した。

主な作品[編集]

  • 『工部卿山尾庸三像』- この作品で第2回内国勧業博覧会に出品。
  • 『婦人三絃弾奏図』

出典[編集]