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「青梅大祭」の版間の差分

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山車は、先述のように計12の町の囃子連たちによって曳かれる。元来の祭礼町は'''住江町(新宿。提灯には「宮本」)'''(墨江町囃子連)、'''本町(下町)'''(本町囃子連)、'''仲町(英町)'''(仲町囃子連)<ref>[[青梅市柚木町|柚木町]]の『梅花連』も加わっている。</ref>、'''上町(福井町)'''(旭連)<ref>[[青梅市畑中|畑中]]の囃子連。</ref>、'''森下町(鶯町、溝端)'''(森若囃子連)の五町<ref>[[1971年]][[7月1日]]に現在の町名に変わった。『[http://青梅大祭.com/new-omeHP/ome.co.jp/katunuma/katunuma_siryou_8.html 青梅大祭 / 勝沼町の歴史]』より。</ref>で、この五町から山車が出た。戦後、これに近隣の町である'''滝の上町'''(滝ノ上囃子連と[[青梅市千ヶ瀬|千ヶ瀬]]の『ち友連』との合同)、'''大柳町'''(大柳町共和会囃子部)、'''天ヶ瀬町'''(天ヶ瀬町囃子連)、'''裏宿町'''(裏宿囃子連)が加わり、更に後には'''勝沼町'''(勝沼囃子会)、'''西分町'''(西分町囃子連)、'''日向和田町'''(日向和田囃子連)の山車が加わった。(勝沼町、西分町、日向和田町は住吉神社の氏子町ではない)(山車を曳くようになったのは明治5年頃と言われている)<ref>[http://meikaij.com/events/oumetaisai-nittei/ 青梅大祭の2017の日程は?山車12基のそれぞれの特徴は?] - 明解情報ブログ、2017年5月3日閲覧。</ref><ref>[http://shinobue.sakura.ne.jp/hoops/report-1-ohme.htm 山車とお囃子(その8) 山車祭り見聞録]</ref>
山車は、先述のように計12の町の囃子連たちによって曳かれる。元来の祭礼町は'''住江町(新宿。提灯には「宮本」)'''(墨江町囃子連)、'''本町(下町)'''(本町囃子連)、'''仲町(英町)'''(仲町囃子連)<ref>[[青梅市柚木町|柚木町]]の『梅花連』も加わっている。</ref>、'''上町(福井町)'''(旭連)<ref>[[青梅市畑中|畑中]]の囃子連。</ref>、'''森下町(鶯町、溝端)'''(森若囃子連)の五町<ref>[[1971年]][[7月1日]]に現在の町名に変わった。『[http://青梅大祭.com/new-omeHP/ome.co.jp/katunuma/katunuma_siryou_8.html 青梅大祭 / 勝沼町の歴史]』より。</ref>で、この五町から山車が出た。戦後、これに近隣の町である'''滝の上町'''(滝ノ上囃子連と[[青梅市千ヶ瀬|千ヶ瀬]]の『ち友連』との合同)、'''大柳町'''(大柳町共和会囃子部)、'''天ヶ瀬町'''(天ヶ瀬町囃子連)、'''裏宿町'''(裏宿囃子連)が加わり、更に後には'''勝沼町'''(勝沼囃子会)、'''西分町'''(西分町囃子連)、'''日向和田町'''(日向和田囃子連)の山車が加わった。(勝沼町、西分町、日向和田町は住吉神社の氏子町ではない)(山車を曳くようになったのは明治5年頃と言われている)<ref>[http://meikaij.com/events/oumetaisai-nittei/ 青梅大祭の2017の日程は?山車12基のそれぞれの特徴は?] - 明解情報ブログ、2017年5月3日閲覧。</ref><ref>[http://shinobue.sakura.ne.jp/hoops/report-1-ohme.htm 山車とお囃子(その8) 山車祭り見聞録]</ref>


山車人形は、曳かれる山車の上部に置かれていたもので、明治40年頃迄、電線が敷設されたため三層の山車を現在のような屋台型に改造し、その後は各町の人形場(祭典事務所)で展示されている。その内、森下町の山車人形・[[武内宿禰]]は、[[嘉永]]年間製作のものとされ、もと神田三河町四丁目の山車人形であり、[[神田祭]]でも曳かれていたという。(製作者は花川戸の住人、都梁斉・法橋仲秀英)[[神功皇后]](住江町)は[[お歯黒]]を付け[[引眉]]しているが[[静御前]](仲町)は引眉せず歯は白いままである。
山車人形は、曳かれる山車の上部に置かれていたもので、明治40年頃迄、電線が敷設されたため三層の山車を現在のような屋台型に改造し、その後は各町の人形場(祭典事務所)で展示されている。その内、森下町の山車人形・[[武内宿禰]]は、[[嘉永]]年間製作のものとされ、もと神田三河町四丁目の山車人形であり、[[神田祭]]でも曳かれていたという。(製作者は花川戸の住人、都梁斉・法橋仲秀英)[[神功皇后]](住江町)は[[お歯黒]]を付け[[引眉]]しているが[[静御前]](仲町)は引眉せず歯は白いままである。[[昭和43年]]にこれらの5体の山車人形は市の[[有形民俗文化財]]に指定された<ref>[http://park2.wakwak.com/~ome.net/24bunkazai0061.html 森下町の山車人形] - OMEnavi 青梅資料館HP。2017年5月4日。</ref>


==居囃子==
==居囃子==

2017年5月3日 (水) 16:09時点における版

青梅大祭(おうめたいさい)は、毎年5月2日から5月3日にかけて東京都青梅市で行われる祭りのこと。住吉神社青梅大祭青梅祭り住吉祭礼などとも呼ばれる。青梅市では最大規模の祭り。

青梅大祭の山車
住吉神社

歴史

江戸時代末期には、既に行われていたが、3月28日旧暦)に行われていた。昭和44年まで、4月28日に祭りが行われていたが、現在は、この日に住吉神社で神事を行い、5月2日3日の両日に山車が曳かれる。2011年は、東日本大震災のため、開催を自粛した。

祭りの様子

5月3日には、青梅駅前の広範囲の道路を通行止め(青梅市勝沼にある青梅信用金庫本店付近の勝沼交差点~青梅市日向和田青梅警察署日向和田駐在所先の和田橋交差点など)にして、計12の山車が曳かれる。また、街道の両側には多くの露店が立ち並び、大勢の人で賑わう。山車と山車が出会うと、「競り合い」が行われる。各々の山車には手古舞役の厚化粧の少年少女が3~10名ほど出る。手古舞以外の少年少女は化粧しない。 また例年、多摩ケーブルネットワーク中継される。

山車と山車人形

山車は、先述のように計12の町の囃子連たちによって曳かれる。元来の祭礼町は住江町(新宿。提灯には「宮本」)(墨江町囃子連)、本町(下町)(本町囃子連)、仲町(英町)(仲町囃子連)[1]上町(福井町)(旭連)[2]森下町(鶯町、溝端)(森若囃子連)の五町[3]で、この五町から山車が出た。戦後、これに近隣の町である滝の上町(滝ノ上囃子連と千ヶ瀬の『ち友連』との合同)、大柳町(大柳町共和会囃子部)、天ヶ瀬町(天ヶ瀬町囃子連)、裏宿町(裏宿囃子連)が加わり、更に後には勝沼町(勝沼囃子会)、西分町(西分町囃子連)、日向和田町(日向和田囃子連)の山車が加わった。(勝沼町、西分町、日向和田町は住吉神社の氏子町ではない)(山車を曳くようになったのは明治5年頃と言われている)[4][5]

山車人形は、曳かれる山車の上部に置かれていたもので、明治40年頃迄、電線が敷設されたため三層の山車を現在のような屋台型に改造し、その後は各町の人形場(祭典事務所)で展示されている。その内、森下町の山車人形・武内宿禰は、嘉永年間製作のものとされ、もと神田三河町四丁目の山車人形であり、神田祭でも曳かれていたという。(製作者は花川戸の住人、都梁斉・法橋仲秀英)神功皇后(住江町)はお歯黒を付け引眉しているが静御前(仲町)は引眉せず歯は白いままである。昭和43年にこれらの5体の山車人形は市の有形民俗文化財に指定された[6]

居囃子

各町の山車の他に居囃子が青梅大祭に参加している[7]

関連項目

注釈

  1. ^ 柚木町の『梅花連』も加わっている。
  2. ^ 畑中の囃子連。
  3. ^ 1971年7月1日に現在の町名に変わった。『青梅大祭 / 勝沼町の歴史』より。
  4. ^ 青梅大祭の2017の日程は?山車12基のそれぞれの特徴は? - 明解情報ブログ、2017年5月3日閲覧。
  5. ^ 山車とお囃子(その8) 山車祭り見聞録
  6. ^ 森下町の山車人形 - OMEnavi 青梅資料館HP。2017年5月4日。
  7. ^ 青梅大祭山車と居囃子紹介 - 2017 青梅大祭実行委員会HP。