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2012年4月18日 (水) 15:19時点における版

石田 徹也(いしだ てつや、1973年6月16日 - 2005年5月23日)は日本の画家

人物

静岡県焼津市出身。父親は元焼津市議会議員。4人兄弟の末っ子。地元の静岡県立焼津中央高等学校を経て1996年武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。元々高校は美術系を希望していたが、親からの強い要望で普通高校に入る。本人は苦痛を感じていたという。大学時代の友人に映画監督の平林勇がおり、共同で作品を製作していた。就職活動中に一社だけデザイン会社に行ったが、就職氷河期であても無く、就職はしないと決めて、画家としての活動に専念する。

モチーフでは主に、SLやビニール袋、便器などといった日常生活で使用するものと一体化した青年を題材とすることが多く、日常生活に潜む不安や現代社会への風刺を超現実的に描いている。なお、題材としている青年はほとんどが同じような顔をしており、作家本人と似ているため自画像だと思われることが多いが、本人は否定しており[1]、作者自身が感情移入できるような人物を描いているという。地道に精力的な活動をしていたが、2005年5月に、踏切事故で死去。部屋からは大量の未発表作品と、製作途中の絵が見つかっている。

しかし、死後も人気は衰えず、2006年11月にクリスティーズ香港で開催したオークション『アジアの現代美術』に Lot. 496 として出品された『無題』(2001年)は、クリスティーズの事前落札予想価格6万 - 8万香港ドルをはるかに上回る78万香港ドル(約1200万円)で落札された。

2009年、遺族が紺綬褒章を授与される。

主な作品

なお、遺族により「飛べなくなった人」を含め、21点の作品が郷里の静岡県立美術館に寄贈されている。

エピソード

  • ひとつぼ展のグランプリ受賞者個展をみた亀倉雄策が「何を食べたらこんな絵が描けるんだ?」と感想をもらした[2]
  • 基本的に無口であり、学生時代はプレゼンも上手くはなかったので、作品の力だけで押し切るしかなかったという。
  • 生前、作品は売れても大した収入にはならなかったので、常にバイトをしながら活動していた。
  • 親からの仕送りは拒否し続け、そういう環境じゃないと、ああいった作風は描けなかったのではないかと父が話している。
  • 両親にはその作風がまったく理解できなかったが、評価されているのは嬉しいと話している。同時に、このような暗い作風が受けることは素直に喜べないとも語っている。
  • 自分の絵に対する様々な感想について、色々な感想があるからいいんだと母に語っている。

書籍

装幀

  • 大槻ケンヂ「のほほん人間革命」
  • 大槻ケンヂ「猫を背負って町を出ろ!」
  • 星野智幸「俺俺」
  • マキシマム ザ ホルモン「鬱くしき人々のうた」
  • eastern youth 「地球の裏から風が吹く」

テレビ番組

脚注

  1. ^ 『石田徹也遺作集』 4頁。
  2. ^ 『石田徹也遺作集』 98頁。

外部リンク