鷲見康夫

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鷲見 康夫(すみ やすお、1925年4月11日[1] - 2015年10月12日)は、日本の抽象画家

経歴[編集]

1925年(大正14年)、大阪府に生まれる[2]。7歳のときに彦根に引っ越す[2]関西大学専門部経済科(旧制)、および立命館大学専門部経済科(旧制)を卒業後[2]、大阪市立高等学校・中学校で美術と英語、社会科の教師となる[2]建設省建設大学校(建設美学)、大同工業大学(造形・意匠)、宝塚造形芸術大学名古屋芸術大学(現代美術)、関西大学(絵画)などでも講師を務めた[2]。1954年(昭和29)、中学の同僚の嶋本昭三の勧めにより第7回芦屋市展に作品を出典する。この時に吉原治良と知り合い、その後吉原に絵画を習うようになる。1955年(昭和30年)に具体美術協会に加入した。「具体」では第1回(1955年)から最後となる第21回(1968年)まで、全ての具体美術展に出品している。1972年(昭和47年)の「具体」解散まで鷲見は「具体」に所属した。1975年(昭和50年)に立ち上げられた「アーティスト・ユニオン」(AU)にも参加した[3]。2000年(平成12年)、初の自著となる『やけくそ・ふまじめ・ちゃらんぽらん』を出版。この本は美術教師時代の経験や結核の闘病生活、ヴェネチアビエンナーレの思い出などについて書かれたもので、文芸社より発売された。絵筆の代わりにそろばんを好んで使用し、国際的に活躍する前衛的な画家として知られた。2015年10月12日、肺炎のため死去[4]

作品収蔵先[編集]

パリ・スタドラーギャラリー、国立ギャラリー ジュ・ド・ポーム、オランダ オレッツギャラリー、米国オークランド美術館、ニューヨーク マーサージャクソンギャラリー、日米芸術交換センター、ローマ国立近代美術館、ダルムシュタット市立マルチデンヘーエ美術館、カナダ オフセンター センター、中国 仏山市文化局、フィンランド ラウマ市美術館、ヘルシンキ アートアカデミー、ミラノ ミランアートセンター、ロンドン ハンバサイドカレッジ、トンガ王国 国際交流センター、その他に招待出品。兵庫県立近代美術館(山村コレクション)、宮城県立美術館北九州市立美術館芦屋市立美術博物館大阪中之島美術館伊丹市役所、伊丹市立文化会館。ニューヨーク、パリ、ロンドン、サンフランシスコ、トリノ、カルガリー、ウィーン、ヘルシンキ、トゥールーズなどの作品が収蔵されている[2]

親族[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]