具体美術協会

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具体美術協会(ぐたいびじゅつきょうかい、具体美術具体GUTAIとも)は、戦前から活躍していた前衛画家・吉原治良を中心に1954年兵庫県芦屋市で結成された団体。

概要[編集]

1954年、吉原治良のもとに糾合した関西の若手の前衛作家たちによって、具体美術協会は結成された。結成時のメンバーは15人。吉原を筆頭に、嶋本昭三山崎つる子正延正俊吉原通雄上前智祐吉田稔郎東貞美など[1]。「具体」という名の提案者は嶋本だった[2]。翌年の1955年、新制作協会に所属していた白髪一雄村上三郎金山明田中敦子らが合流[1]。同年、元永定正が参加[3]。こうした経緯から、同協会は戦後の美術運動としてはむしろ例外的に師弟関係を軸としていた[4]

近代絵画を継承するのではなく、断絶した表現を挑発する「人の真似をするな。今までにないものをつくれ」という吉原の指導のもと、若い作家たちは炎天下の芦屋湖畔の松林を舞台とした野外展やデパートの屋上でのアドバルーン展など、斬新な作品の発表をつづけざまに行う[4][5]。そして機関紙「具体」の発行、東京(草月会館)および関西での「具体展」、梅田のサンケイホールなど舞台での発表などの活動をめざましく展開していった。やがて具体はフランスの批評家ミシェル・タピエによって「アンフォルメルの日本における一例」として広く海外へ紹介され、高く評価されるようになった。(その一方、抽象絵画の団体として紹介されてしまったことで以後の活動は平面作品が中心となり、初期の立体作品や舞台を使ったパフォーマンスなどは行われなくなる。)

1960年代になるとヨシダミノル今中クミ子向井修二松谷武判前川強堀尾貞治ら新しい世代が登場し、光や動きを取り入れたライトアートキネティックアートの導入など、それまでとは違った方向性を見せることになる。その間、1962年には本拠地「グタイピナコテカ」が大阪・中之島に開設され、会員たちの絵画の個展が行われた。ジャスパー・ジョーンズサム・フランシスジョルジュ・マチウロバート・ラウシェンバーグイサム・ノグチポール・ジェンキンスジョン・ケージペギー・グッゲンハイムなどが訪問した。

末期の1970年大阪万博の「お祭り広場」ではふたたび大規模な舞台を光やパフォーマンスによって行ったが、吉原治良の死によって1972年に解散した。

1950年代から1970年代まで、具体の活動は幾つかの局面を経てきたが、ことにその初期の実験性は近年、パフォーマンスアートハプニングインスタレーションなど現代美術のさまざまな分野の先駆者として認められ、1990年代以降、日本の戦後美術に関する展覧会への各作家の参加や、ヴェネツィア・ビエンナーレでの回顧展(野外展の再現)ほか、あいついで国内外で展覧されている。

2012年、回顧展「『具体』-ニッポンの前衛 18年の軌跡」が国立新美術館で開催された[6]

2013年、回顧展「具体:素晴らしい遊び場 Gutai: Splendid Playground」がニューヨークグッゲンハイム美術館で開催された[7]

具体美術協会に参加したアーティスト[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]