高木理江

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高木 理江
Rie Takaki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-08-09) 1983年8月9日(40歳)
出身地 山口県防府市
ラテン文字 Rie Takaki
身長 176cm
体重 64kg
血液型 AB型
選手情報
愛称 リエ
ポジション WS
指高 225cm
利き手
スパイク 290cm
ブロック 280cm
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高木 理江(たかき りえ、1983年8月9日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。山口県防府市出身。ニックネームはリエ

来歴

小学校4年生からバレーボールを始める。小・中学時代のポジションはレフト。高校は山口県の強豪・三田尻女子高校(現・誠英高等学校)に進学。ポジションはセンター

後輩の栗原恵らと共に、2000年インターハイ国体(少年A女子)、翌2001年春高バレー・インターハイを征し、4冠を達成。またこの年の学生東西対抗戦メンバー(西軍)に選出された。

2002年4月、JTマーヴェラスに入団。チームは前年度にVリーグから下部リーグであるV1リーグに降格しており、入団初年度はV1リーグでの戦いであった。同年、全日本代表Bチームに選出。

2005年、第54回黒鷲旗大会から、同年開催されたサマーリーグ西部予選にかけての数ヶ月間はライト(セッター対角)に挑戦していたが、同年9月から開催の第12回Vリーグからはレフトに完全コンバートした。この間、ジャンプサーブにも挑戦したが完成度が低く1日で封印した[1]

2006年、第55回黒鷲旗大会終了後、監督の寺廻太からキャプテンに指名される。「簡単に受諾できるものではない」という高木の生真面目な性格から了承の返答は1ヵ月後になったという[2] 。結局、2008/09シーズンまで主将を努めチームに貢献した。

2006-07V・プレミアリーグではレギュラーを獲得。真面目かつひたむきなプレーでチームを牽引し、チーム史上初となる決勝進出を果たし、準優勝に導く。2007年5月に開催された、第56回黒鷲旗大会においても3年ぶり3回目の準優勝に貢献した。

2011年5月、退社[1]

球歴

  • 所属チーム履歴
牟礼小→牟礼中→三田尻女子高校(現・誠英高等学校)JTマーヴェラス(2002-2011年)

背番号

  • 18(2002年 - 2004年)
  • 14(2005年 - 2006年)
  • 8(2007年 - 2011年)

脚注

  1. ^ 後に2006/07V・プレミアリーグで開幕戦からジャンプサーブを披露するが、サーブミスを回避するという観点から、リーグ中盤からは従来のジャンピングフローターサーブへと回帰している。
  2. ^ 寺廻が高木をキャプテンに指名した理由として、その真面目さとチーム内で有数の練習熱心さ、そして負けない気持ちといったものを挙げている。

外部リンク