雪ノ下

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雪ノ下(ゆきのした)は神奈川県鎌倉市鎌倉地域にある大字。もともとは鶴岡八幡宮背後の地域を指していたが、次第に拡大し境内とその周辺を指すようになった。

歴史・由来

吾妻鏡によると、建久2年(1191年)2月17日に降雪が5寸になった雪見のため、鶴岡八幡宮を訪れた源頼朝佐々木盛綱らに山辺の雪を長櫃に入れて夏に備えて貯蔵させたことが由来とされる。地名は吾妻鏡の建保元年(1213年)正月四日に初見される。源実朝を暗殺した公暁は、雪ノ下の本坊(別当坊)に逃れた。

応永24年(1417年)1月に関東管領上杉禅秀は挙兵して鎌倉公方足利持氏を追放するが、敗れて雪ノ下で自刃している(上杉禅秀の乱)。

江戸時代初期に「雪ノ下村」の地名が現れ、明治22年(1889年)まで続く。明治27年に鎌倉町に編入され、 昭和41年(1966年)に住居表示に伴い雪ノ下一丁目-四丁目となった。平成3年(1991年)に雪ノ下五丁目が追加された。小町通りは、南半分の周辺が小町、北半分の周辺が雪ノ下である。

名所・旧跡

参考文献

  • 奥富敬之 『鎌倉史跡事典』 新人物往来社 1999
  • 三浦勝男編 『鎌倉の地名由来辞典』 東京堂出版 2005

脚注