隆武帝
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隆武帝 朱聿鍵 | |
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南明 | |
2皇帝 | |
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王朝 | 南明 |
在位期間 | 1645年 - 1646年 |
姓・諱 | 朱聿鍵(いつけん) |
諡号 | 襄皇帝・思文皇帝 |
廟号 | 紹宗 |
生年 | 1602年 |
没年 | 1646年 |
父 | 朱器墭 |
年号 | 隆武:1645年 - 1646年 |
隆武帝(りゅうぶてい)は、南明政権の2番目の皇帝。明の太祖・洪武帝朱元璋の第23子、唐定王朱桱の8世孫にあたる(下記系図参照)。
生涯
1632年(崇禎5年)、祖父・朱碩熿が死去、父・朱器墭が既に他界していたため、朱聿鍵が唐王の爵位を相続する。しかし、1636年(崇禎9年)に軍の運用を巡り崇禎帝によって庶人に落とされ、鳳陽に軟禁された。明が滅亡し、南明政権の皇帝として弘光帝が即位すると恩赦を受け、広西平楽に移されることになった。
移送中に弘光帝が清軍に囚われるとの報を受けた朱聿鍵は、福州の地で鄭鴻逵、黄道周らに推されて南明の帝位を継承することにし、隆武帝となった。
鄭成功(鄭鴻逵の従子)が隆武帝にはじめて謁見した時、鄭成功を見た隆武帝は「朕に公主(娘)がいないのが残念である。」と述べ、その容貌と聡明さを気に召したほどだった。
正妻は曽氏で、子に朱琳源がいたが、嬰児のまま夭折したため、「荘敬太子」と謚された。
1646年(隆武2年、清の順治3年)、清軍が福州を攻撃すると、汀州に逃れたが、清の李成棟の軍によって捕らえられた。その後絶食して自ら命を絶った。享年45。
年号
系図
太祖洪武帝 朱元璋 | 1唐定王 朱桱 | 2唐靖王 朱瓊烴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3唐憲王 朱瓊炟 | 4唐荘王 朱芝址 | 5唐成王 朱弥鍗 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
文城恭靖王 朱弥鉗 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6唐敬王 朱宇温 | 7唐順王 朱宙栐 | 8唐端王 朱碩熿 | 朱器墭 | 9,11唐王・隆武帝 朱聿鍵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10唐愍王 朱聿鏼 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
12唐王・紹武帝 朱聿𨮁 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
13唐王 朱聿鍔 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 『明史』巻118(列伝第6 諸王3 唐王伝)および巻120(列伝第8 諸王5 桂王伝)より作成。