嘉靖帝

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嘉靖帝 朱厚
第12代皇帝
明世宗.jpg
王朝
在位期間 1521年 - 1566年
都城 北京
姓・諱 朱厚
諡号 欽天履道英毅聖神宣文広武洪仁大孝粛皇帝
廟号 世宗
生年 正徳2年(1507年)9月16日
没年 嘉靖45年(1566年)1月23日
朱祐杭
慈孝献皇后
皇后 孝潔皇后、孝烈皇后
陵墓 永陵
年号 嘉靖:1522年 - 1566年

嘉靖帝(かせいてい)は朝の第12代皇帝(こうそう)(の字は火偏+總)。廟号世宗(せいそう)。日本では治世の元号から一般的に嘉靖帝と称される。

生涯[編集]

弘治帝の弟の興王朱祐杭(しゅゆうこう)の次男で、先帝である正徳帝従弟に当たる。兄・朱厚熙が先に没したために父の後継者(世子)となる。正徳14年(1519年)に父が没するが、興王位を継承する前の正徳15年(1521年)に正徳帝が崩御。正徳帝の子が早世していたため、正徳帝にもっとも血筋の近い皇族と言うことで傍系でありながら皇帝に即位した。

即位後、正徳帝が寵愛していた銭寧江彬を処刑して、宮中の官員を整理し、先代の弊風を一新した。しかし嘉靖帝は傍系であったため、大礼の議問題が発生した。嘉靖帝は弘治帝から従兄の正徳帝を経て帝位を継承したため、形式上は弘治帝の子になり弘治帝を父とする必要があった。しかし嘉靖帝は実父の興献王(「献」は朱祐杭の諡号)を皇考(皇帝の父)として扱う事としたため系譜上では弘治帝が消滅する事になった。そのため弘治帝を皇考とすることを求める廷臣たちと論争し、意見の異なる臣下を200人あまりも解任または投獄した。この事件により皇帝に諫言を行う臣下が減少したとされる。

正徳帝の遺詔で正徳期の悪政が一掃された。嘉靖帝の功績として評価する見方もあるが、実際は正徳帝の遺臣が行ったことである。嘉靖帝自身は朝政を省みることは無く、道教に熱中し、青詞(道教における祭文)に長じているという理由で高官に人材登用を行った。そのため、この時登用され内閣大学士に任じられた厳嵩は「青詞宰相」と称された。

対外的には北方のアルタン・ハーン率いる右翼モンゴルによる侵攻、南方では倭寇による衝突が発生し、国事多難の時期であったが、嘉靖帝は紫禁城の中にこもり、自らの生活を享受していた。嘉靖45年(1566年)に丹薬を長年服したことによる中毒死で崩御した。

宗室[編集]

明世宗著龍袍像

后妃[編集]

  • 孝潔皇后陳氏
  • 廃后張氏
  • 孝烈皇后方氏
  • 康妃 杜氏 - 孝恪太后。隆慶帝の母
  • 端和恭順溫僖皇貴妃王氏 榮安惠順端僖皇貴妃閻氏 莊順安榮貞靜皇貴妃沈氏 恭僖貞靖貴妃文氏 恭淑安僖榮妃楊氏 懷榮賢妃鄭氏
  • 端惠安榮靖妃盧氏 恭僖麗妃王氏 榮昭德妃張氏、徽妃王氏、雍妃陳氏、肅妃江氏、溫靖懿妃趙氏
  • 宸妃王氏 · 壽妃尚氏 · 淑妃張氏 · 榮安貞妃馬氏 · 安妃沈氏 · 端惠永妃徐氏 · 定妃吳氏 · 晏妃褚氏 · 平妃耿氏 · 康妃王氏 · 宜妃包氏 · 靜妃陳氏 · 順妃李氏 · 晏妃禇氏 · 莊妃王氏 · 睦妃何氏 · 莊妃杜氏 · 和妃張氏 · 懷妃王氏 · 常妃張氏
  • 恭妃文氏、端妃曹氏、寧嬪王氏
  • 莊嬪王氏、惠嬪韋氏、常嬪陳氏、常嬪李氏、裕嬪王氏、懷嬪王氏、御嬪黄氏、宛嬪趙氏、常嬪馬氏、常嬪劉氏、常嬪楊氏、常嬪張氏、康嬪劉氏、常嬪傅氏、常嬪張氏、常嬪劉氏、昭嬪張氏、常嬪武氏、寧嬪郭氏、靜嬪田氏、安嬪孟氏、麗嬪宋氏、和嬪任氏、常嬪高氏、常嬪王氏

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  • 常安公主朱壽媖 、母は端妃曹氏
  • 思柔公主朱福媛、母は徽妃王氏
  • 寧安公主朱祿媜、母は端妃曹氏、養母は皇貴妃沈氏
  • 帰善公主朱瑞嬫、母は雍妃陳氏
  • 嘉善公主朱素嫃、母は德妃張氏

登場作品[編集]

テレビドラマ