開成高校生殺人事件
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開成高校生殺人事件(かいせいこうこうせいさつじんじけん)は、1977年10月30日未明に開成高等学校の2年生が父親に絞首されて殺害されたという事件[1][2]。
事件が発生するまでの経緯には殺害された少年の家庭内暴力などといった異常な行為が大きな要因とされており、このまま事態が進行したならば息子が犯罪者になってしまうと考え、それを避けるために犯行を決行するに至った[3]。
息子を殺害後には両親も揃って自殺することを考えていたものの決行せず、父親が自首することとなった[4]。法廷で情状証人として父親をかばった母親の努力もあり、異例の温情判決で執行猶予つきの懲役3年となった[5]。
しかしその後、母親は「息子を返して」と父親になじりはじめ[6]、1978年7月2日に首吊り自殺した。母親は息子と近親相姦の関係にあった、と早坂暁は記している[7]。
事件の経緯を綴った高杉晋吾の著作によれば、優秀な成績でミッションスクールの小学校を卒業し、開成中学校に入学した当時のプライドを、事件の前年1976年5月に家庭内における権威であった祖父が死去したことで「全面的に崩壊させ、自虐的劣等感を噴出させた」と指摘している[8]。学友の両親が「医師、弁護士、大学教授」など「ステータス・シンボル」の揃った肩書きであったのに対し、少年の父親は小学校卒で大衆酒場の経営者であったが[9]、母親と担任の教師との面談の場でレストラン経営という言うと「『おやじの店はレストランじゃない』と顔色を変えて怒った」という[10]。