鍋島直泰

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鍋島直泰
なべしま なおやす
生年月日 1907年10月3日
没年月日 (1981-04-01) 1981年4月1日(73歳没)
出身校 東京帝国大学卒業
(現東京大学)
前職 宮内省式部官
配偶者 鍋島紀久子
親族 祖父・鍋島直大(貴族院議員)
大叔父・鍋島直虎(貴族院議員)
大叔父・鍋島直柔(貴族院議員)
父・鍋島直映(貴族院議員)
伯父・黒田長成(貴族院副議長)
伯父・黒田長和(貴族院議員)
叔父・牧野忠篤(貴族院議員)
叔父・松平恆雄(参議院議長)
叔父・鍋島直縄(貴族院議員)
叔父・柳沢保承(貴族院議員)
叔父(伯父)・黒田長敬(貴族院議員)
従弟・鍋島直紹(佐賀県知事)

在任期間 1943年12月28日 - 1947年5月2日
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鍋島 直泰(なべしま なおやす、1907年明治40年)10月3日[1] - 1981年昭和56年)4月1日[1][2])は、昭和期の宮内官、政治家華族貴族院議員、侯爵。旧佐賀藩主・鍋島家の13代当主[1]

経歴

12代直映の嫡男で、母は黒田長知二女・禎子[1]学習院を経て、1931年(昭和6年)東京帝国大学文学部を卒業[2]。1933年(昭和8年)宮内省に入省し式部官兼主猟官に就任[2]

父の死去に伴い、1943年(昭和18年)12月28日に家督を相続し侯爵を襲爵[1]。同日、貴族院侯爵議員に就任し[3]火曜会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院の廃止まで在任した[2]

人物

名ゴルファーとして知られ、1933年から1935年の日本アマチュア選手権に3連覇、1ラウンドで2度ホールインワンを記録するなどの記録で知られる。長野県軽井沢町軽井沢ゴルフ倶楽部」所属[4]。また、蝶の研究・収集などでも有名である。自動車愛好家としても知られ、1935年にはイスパノ・スイザK6をベアシャシー(ボディがない状態)で輸入、自邸内の小屋で自らデザインした2ドアクーペボディを、約半年かけて日本人職人に製作・架装させた。完成当初のボディカラーはナス紺と溜色(小豆色)のコンビネーションだったと言われるが、その後も昭和40年頃まで、塗色の変更、ホイールカバーの取り外し(ワイアホイールをそのまま見せる)、バンパーを2分割にするなどの改良を積み重ね、死去するまでナンバーを付けて時折実用に供し続けた。このイスパノ・スイザは1983年、直要が佐賀県立博物館に管理を委託、約25年間にわたり、同博物館1階ホールに展示されていたが、2008年になってトヨタ博物館に寄託されることになった。

親族

  • 妻 - 紀久子(1911年 - 1989年、朝香宮鳩彦王第一王女)
  • 嫡子 - 直要(なおもと、1936年 - 2008年、鍋島報效会会長、日本ゴルフ協会常任理事)

脚注

  1. ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成 下巻』265-267頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』20-21頁。
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、52頁。
  4. ^ 第4回報知アマゴルフ選手権”ゴルフ報知

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。

外部リンク


日本の爵位
先代
鍋島直映
侯爵
佐賀鍋島家第3代
1943年 - 1947年
次代
華族制度廃止