銃後
銃後(じゅうご、Home Front)とは、戦場における銃の後ろ、すなわち前線に対して、直接の戦場ではない後方という意味で用いられる。
概要
第一次世界大戦以降の近代戦は、国家総力戦により戦線での兵力のみならず、戦線から離れた都市や工業地帯にも戦略爆撃によって戦争の影響が大きく影を落とすこととなった。また、大量の火力と資源を消費することから、生産力と看做されていなかった女性や子供が、兵力として徴用された男性の代わりとして機能することが要求された。
第二次世界大戦では、連合国・枢軸国問わず多くの国が女性を労働力として重視し、軍需工場での生産のみならず、郵便配達、電車運転などのサービス業でも、男性の代わりとして女性が参加した。さらに、逼迫した労働力不足は子どもの徴用まで招き、学徒勤労動員により子どもも労働力として位置づけられた。また、こうした生産基盤での統制を実施するために、経済の統制や、銃後におけるプロパガンダが重視された。
また、労働力としての女性の社会進出により、女性の労働環境が整備され、結果として社会における女性の地位向上につながった。
各国における銃後体制
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女性トラック運転手
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女性郵便配達員。奥には「女子職員募集」と書かれたポスターが見える。
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台湾人女性工員
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テキサス州フォートワークスの航空機工場で働く女性工員(1942年10月)
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テキサス州サンオーガスティン郡の小学校(1943年4月)。壁に「戦時国債を購入せよ」と書かれたポスターが貼ってある。
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「我々の勝利の仕事に参加せよ」
オーストラリアで製作された女性の社会参加を呼びかけるポスター -
イラン・イラク戦争中、イラン軍への寄付金を運ぶ少女