鈴木貢父

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鈴木貢父
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 享保17年8月6日1732年9月24日
死没 文化5年8月22日1808年10月11日
別名 鈴木主税、新蔵、倉部先生
墓所 岩手県盛岡市報恩寺
主君 南部利敬
陸奥盛岡藩儒医
氏族 小屋瀬鈴木家
父母 鈴木繁懿
兄弟 喜右ヱ門某、貢父
三好氏
遠藤氏
重之、娘三人
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鈴木 貢父(すずき こうふ)は、江戸時代中期から後期にかけての盛岡藩士。盛岡藩始めての儒医となった人物。

略歴[編集]

享保17年(1732年)8月6日、現在の岩手県葛巻町小屋瀬鈴木家に鈴木助十郎繁懿の六男として誕生。兄の喜右ヱ門某の次男に、絵画文学に秀でた鈴木伝七(耕水)がいる。貢父は初め主税、後に新蔵と称し、諱は歛であった。

宝暦12年(1762年)に京都に遊学して香川南洋の教えを受け、寛政8年(1796年)から盛岡藩初めての儒医(儒学者藩医を兼ねる)として仕えた。師の南洋に習い束髪帯刀姿とし、医学の専門家として本道(内科)を得意とした。著書に「治国法言」「儒医苗字帯刀御免創始由来記」などがあり、政治に関心があった。前妻に三好氏の娘、後妻に遠藤氏の娘があり、子は三好氏との間に重之など1男3女があった。

文化5年(1808年)8月22日に77歳で病没し、盛岡市報恩寺に葬られた。

参考文献[編集]

  • 葛巻町誌編纂委員会『葛巻町誌〈一巻〉』1987年。
  • 葛巻町誌編纂委員会『葛巻町郷土史年表』2005年。
  • 藤岡一雄『くずまき歴史散歩』。

関連項目[編集]