金載圭

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金載圭
各種表記
ハングル 김재규
漢字 金載圭
発音: キム・ジェギュ
ローマ字 Kim Jaegyu
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金載圭(キム ジェギュ、1926年3月6日 - 1980年5月24日)は韓国軍人陸軍中将KCIA部長。慶尚北道亀尾市出身。

朴正煕の腹心の一人であったが、1979年10月26日、酒席の場で朴と車智澈警護室長を射殺した(朴正煕暗殺事件)。

殺害の理由は明らかになっていないが、当時釜山馬山で起こっていた釜馬民主抗争への対応において、朴のもう一人の腹心であった車の強硬策が採用され、金の立場が脅威に晒されていたためとされる。

1980年に死刑判決を受け、同年5月24日絞首刑に処された。

2004年民主化補償審議委員会によって金による朴暗殺が民主化に寄与したか否かが議題として上ったが、全斗煥によるクーデター、並びに後の独裁を招いたとの指摘もあり、最終的な結論に至っていない。

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