金子親範
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時代 | 平安時代末期 - 鎌倉時代初期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 承久2年5月25日(1220年6月27日) |
別名 | 余一、近範 |
幕府 | 鎌倉幕府御家人 |
主君 | 源義朝→平清盛→源頼朝→頼家→実朝 |
氏族 | 桓武平氏村山党金子氏 |
父母 | 父:金子家範 |
兄弟 | 親範、家忠 |
子 | 親吉 |
金子 親範(かねこ ちかのり)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。金子家範の子。通称・余一。近範とも表記される。
経歴
[編集]初め、畠山重忠・河越重頼・江戸重長とともに衣笠城の三浦義明を攻め滅ぼした(衣笠城合戦)が、後に源頼朝に降った。屋島の戦いでは、平盛嗣の鎧の胸板を弓で打ち抜いた故事で知られている。
武蔵国入間郡を拠点とし、現在の埼玉県入間市仏子に居館があったと伝えられている。
参考文献
[編集]- 野口実「平親範2」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7)