趙源震

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趙源震
조원진
生年月日 (1959-01-07) 1959年1月7日(65歳)
出生地 大韓民国の旗 大韓民国慶尚北道大邱市
出身校 嶺南大学校
所属政党統一民主党→)
民主自由党→)
新韓国党→)
親朴連帯→)
国民新党→)
ハンナラ党→)
セヌリ党→)
セヌリ党→)
大韓愛国党→)
ウリ共和党→)
自由共和党→)
ウリ共和党

在任期間 2020年3月3日 -

大韓愛国党共同代表
在任期間 2017年11月6日 - 2020年3月3日

選挙区 大邱広域市達西区
当選回数 3回
在任期間 2008年5月30日 - 2020年5月29日
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趙源震
各種表記
ハングル 조원진
漢字 趙源震
発音: チョ・ウォンジン
英語表記: Cho Won-jin
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趙 源震(チョ・ウォンジン、1959年1月7日 - )は、大韓民国政治家ウリ共和党代表、第18・19・20代国会議員大韓愛国党共同代表などを歴任。親朴派(親朴槿恵系)の中心人物。

経歴

1959年1月7日、慶尚北道大邱市(現大邱広域市)生まれ。韓国外国語大学校政治外交学科卒。北京大学国際政治学専攻1年修了、嶺南大学校行政大学院修士。韓国外大総長だった黄秉泰朝鮮語版の引きで統一民主党の創党発起人になり、黄の国会議員当選に伴い議員秘書を務めながら民主自由党新韓国党国民新党と移籍。黄の落選後は黄と親しかった金宇中の引きで大宇に入社し、北京支社企画部長、駐中国韓国人会副会長、世界韓人貿易協会幹部、北京ハンセム法人代表などを務めた[1]2008年4月に行われた第18代総選挙大邱広域市達西区丙から、親朴連帯候補として出馬し、当選した。同年7月にハンナラ党に入党し、在外国民の参政権獲得のための法改正を主導した[2]

第19代総選挙で再選した。2013年朴槿恵大統領 に当選すると、中国に特使団の一員として派遣され、習近平国家主席に親書を渡し、楊潔篪外交部長らと会談した[3]2015年からセヌリ党の院内首席副代表を務めた。

2016年第20代総選挙では無所属候補の公認を巡り、党を離党した劉承旼や党代表の金武星を批判した[4]。同年9月には、革新系の丁世均国会議長の米国出張などを問題視し、セヌリ党丁世均辞任貫徹非常対策委員会委員長に就任し、疑惑を追及した[5]。同年12月に朴槿恵大統領が弾劾されると、2017年三一節に親朴議員と共に太極旗集会に参加し、弾劾反対を主張したが[6]、反朴派議員の集団離党[7]などによって党が弱体化した。2017年4月に自由韓国党を離党し、朴を支持するグループによって新たに結成されたセヌリ党に入党し2017年大韓民国大統領選挙に出馬するが、落選した。同年6月に党を除名され、大韓愛国党を結成し共同代表に就いた[8]2019年に自由韓国党を離党した洪文鐘議員が入党し、ウリ共和党に改名した[9]

2020年3月3日に自由統一党朝鮮語版と合併し、新設された自由共和党代表に就任した。同年4月に行われた第21代総選挙で、未来統合党候補の金用判に敗れ落選した。

脚注

  1. ^ 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年7月24日閲覧。
  2. ^ 在外韓国国民300万人、すべての選挙に選挙権 東亜日報 2008年8月26日
  3. ^ 朴槿恵氏、中国に特使団派遣 東亜日報 2013年1月22日
  4. ^ 金武星氏と親朴系、離党派対応で足並みの乱れ 東亜日報 2016年3月30日
  5. ^ 国会議長と政権与党が決死の泥仕合 東亜日報 2016年9月30日
  6. ^ 3.1節、与野党大統領選候補の動き 東亜日報 2017年3月2日
  7. ^ 親朴系、非主流派の離党宣言に戸惑い隠せず 東亜日報 2016年12月22日
  8. ^ 親朴槿恵派核心の趙源震議員が大韓愛国党旗揚げ 中央日報 2017年7月9日
  9. ^ 親朴槿恵派重鎮議員が離党宣言…大韓愛国党と「新共和党」旗揚げへ 中央日報 2019年6月16日