藤原経任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Aotake (会話 | 投稿記録) による 2014年7月15日 (火) 01:03個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎官歴: 「正月16日:[ [禁色] ]を聴される。」を除去。この項目は史料綜覧の誤解のため。)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

 
藤原経任
時代 平安時代中期
生誕 長保2年(1000年
死没 治暦2年2月16日1066年3月14日[1]
別名 白髪大納言(号)
官位 正二位、権大納言
氏族 藤原北家小野宮流
父母 父:藤原懐平、母:藤原佐理の娘
養父:藤原斉信
兄弟 経通資平経任資頼資高
養子:経忠公房
テンプレートを表示

藤原 経任(ふじわら の つねとう)は、平安時代中期の公卿。権中納言藤原懐平の三男。大納言藤原斉信の養子。

生涯

長和元年(1012年)、太皇太后藤原遵子の御給により従五位下に叙爵。右衛門佐・左近衛権少将を経て寛仁4年(1020年従四位下に叙せられる。権左中弁に転じたのち、長元3年(1030年後一条天皇蔵人頭に任ぜられる。長元8年(1035年参議、翌長元9年(1036年)には従三位に叙任される。

永承3年(1048年)権中納言天喜2年(1054年正二位治暦元年(1065年)には権大納言に至る。

人物

斉信の養子であったが、その政敵とも言える叔父の右大臣実資とも親密であり、内裏と実資との間をしばしば行き来して巷説を実資に伝えるなどした一方、実資の方も牛を与えたり、病に伏せった経任に対して見舞いの使者を立て調伏の鬼気祭りをさせたりと、何かと経任の面倒を見たという[2]

日記に『権大夫記』(『経任大納言記』)がある。

系譜

官歴

脚注

  1. ^ 一代要記』『尊卑分脉
  2. ^ 『小右記』
  3. ^ 『蔵人補任』