藍澤彌八
藍澤 彌八(あいざわ やはち、1880年(明治13年)3月22日 - 1969年(昭和44年)1月29日[1])は、日本の実業家。
経歴
新潟県生まれ、1905年(明治38年)日本法律学校(現在の日本大学)卒業。出版会社金港堂などを経て、1908年(明治41年)に証券業の港屋商店代表者となる[2]。
1933年(昭和8年)10月に株式会社藍澤商店(現在の藍澤證券)を設立。
1940年(昭和15年)に株価対策の国策を担うための日本証券投資株式会社を設立し社長に就任。1947年(昭和22年)に証券取引所の不動産を管理する平和不動産を設立し社長に就任。1957年(昭和32年)から1961年(昭和36年)まで東京証券取引所理事長を務めるなど、日本の証券業、証券取引所に大きな影響力を持った。
1946年(昭和21年)8月21日、貴族院勅選議員に任じられ[3]、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[1]。
親族
子に藍澤証券会長を務めた藍沢吉雄、孫に藍澤証券会長を務める藍澤基彌がいる。
脚注
参考文献
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。