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簡文帝 (東晋)

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簡文帝 司馬昱
東晋
8皇帝
王朝 東晋
在位期間 371年 - 372年
姓・諱 司馬昱
道万
諡号 簡文皇帝
廟号 太宗
生年 320年
没年 372年
元帝(末子)
鄭氏
陵墓 高平陵
年号 咸安371年 - 372年

簡文帝(かんぶんてい)は東晋の第8代皇帝。初代皇帝元帝の末子で2代皇帝明帝の末弟に当たる。

利発であったことから父に愛された。皇帝に即位する前は会稽王の地位にあり、皇族の長老として数代に渡って若き皇帝を補佐する立場にあった。実力者の桓温が371年に又甥の海西公を廃した後、皇帝として擁立された。

しかし即位の翌年、早くも病に倒れ、53歳で死に臨んで桓温に皇位を禅譲しようと考えたが、重臣の謝安らの反対で実現しなかったという。そして桓温も同年のうちに病没した。皇位は簡文帝の第6子で12歳の司馬曜(孝武帝)が世襲した。

宗室

子女