笹原忠義

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ささはら ただよし

笹原 忠義
生誕 (1954-06-06) 1954年6月6日
日本の旗 日本 石川県加賀市
死没 (2014-05-17) 2014年5月17日(59歳没)
日本の旗 日本 石川県金沢市
死因 肺炎
出身校 慶應義塾大学法学部卒業
職業 アナウンサー
実業家(放送局経営者)
雇用者 北陸放送(1977年 - 2014年)
肩書き 北陸放送代表取締役社長
任期 2011年6月 - 2014年4月
前任者 白石恵一
後任者 京村英二
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笹原 忠義(ささはら ただよし、1954年6月6日 - 2014年5月17日)は、日本実業家、元アナウンサー石川県加賀市出身[1]

経歴[編集]

加賀市立山代中学校石川県立小松高等学校を経て、慶應義塾大学法学部卒業後の1977年北陸放送へアナウンサーとして入社。笹原自身はアナウンサー志望ではなかったため、入社試験時は一般職を受験した。当時の入社試験で全員が長いニュース原稿を読まされる中、笹原だけが息継ぎせずに一息で読み、その面白さからアナウンサーで採用された。これは自慢ではあったが、肺活量が5,600ccもあったという[2]1998年には、細川久米夫市長の収賄容疑での逮捕、辞職に伴う、旧松任市の市長選挙への立候補を打診されたが、断っている。アナウンス部長、営業部長、営業局長、取締役営業局長、常務取締役営業局長[1]2011年6月28日には社長に就任[3]2014年4月23日には健康上の理由により社長を退任し、取締役に降格。

2014年5月17日0時50分、肺炎のため金沢市内の病院で死去[4][5][6]。59歳没。

人物・エピソード[編集]

  • 軽妙な喋り方が持ち味で、アナウンサー時代から多くの芸能人との交流があり、自身のトークイベントでは大学の先輩の松下賢次などを招いていた。
  • 競艇に造詣が深く、特に三国競艇重賞レース関連の番組で関わっていることが多かった。競艇選手では同じ石川県出身の今垣光太郎石田政吾との交流があった。
  • ライバル局であるテレビ金沢塚田誉は同じ市・中学・高校の後輩である。

過去の担当番組[編集]

ラジオ
テレビ

主な実況歴[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 救急病院を考える公開討論会の開催結果について 加賀市 2010年11月23日
  2. ^ 石井彰「放送界隈 今、ラジオが元気です 北陸放送 老舗ラジオ局の新しい鼓動」『新・調査情報passingtime』46号、TBSメディア総合研究所、2004年3月1日、72頁。 
  3. ^ MRO新社長 笹原氏が昇任 白石氏は会長に - 石川県立図書館 SHOSHO 2011年5月25日
  4. ^ [お偲び]笹原忠義氏(前北陸放送社長、現取締役) Sogi.jp 2014年5月17日
  5. ^ “笹原忠義氏死去”. 佐賀新聞 電子版 (佐賀新聞). (2014年5月17日). http://www.saga-s.co.jp/news/national/10212/64504?area=ranking 2014年6月9日閲覧。 
  6. ^ “【訃報】笹原忠義氏が死去 前北陸放送社長 - SankeiBiz(サンケイビズ)”. 産経新聞 (産経新聞社). (2014年5月17日). https://web.archive.org/web/20140519003111/http://www.sankeibiz.jp/business/news/140517/bsj1405172111002-n1.htm 2014年6月9日閲覧。 
  7. ^ 竜香のあぶない8時 2018年12月3日放送分の月竜香の発言より。

外部リンク[編集]


先代
白石恵一
北陸放送社長
第7代:2011年 - 2014年
次代
京村英二