竹内浩三
竹内 浩三(たけうち こうぞう、1921年(大正10年)5月12日 - 1945年(昭和20年)4月9日)は、日本の詩人。三重県宇治山田市(現在の伊勢市)生まれ。
経歴
宇治山田市吹上町に生まれた。宇治山田中学校在学中より友人と回覧雑誌を製作。1940年(昭和15年)日本大学専門部映画科入学。1942年、宇治山田中学校時代の友人中井利亮・野村一雄・土屋陽一と同人誌『伊勢文学』を創刊。同年、日本大学を卒業、入営。1945年4月、フィリピンにて戦死(厳密には生死不明[1])。
入営中に記された日記(筑波日記)などに書き残された詩は、青年のみずみずしい感情を歌っている。
「骨のうたう」は、1942年8月3日の日付が書かれているが、1948年に中井利亮編『伊勢文学』第8号に「遺稿」として原型が掲載され、1956年中井利亮編『愚の旗―竹内浩三作品集』刊行に際して現在知られている形になった。また、「望郷」は1943年5月『伊勢文学』第6号初出。
2004年、稲泉連が評伝『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』を発表し、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
2008年NHKにて、「ハイビジョン特集 シリーズ青春が終わった日 日本が見えない~戦時下の詩と夢・竹内浩三~」が放送された。
遺品は本居宣長記念館に寄贈されている。
著作集
- 『愚の旗―竹内浩三作品集』(私家版)
- 『竹内浩三全集』(新評論社)
- 『竹内浩三作品集』(新評論社)
- 『竹内浩三全作品集―日本が見えない』(藤原書店、2002年)
- 『戦死やあわれ』(岩波書店、2003年)
などがある。
備考
- 家族構成は両親と姉。なお、両親は10代の頃になくなっている[2]
脚注
- ^ ゴーマニズム宣言新戦争論1p438、小林よしのり
- ^ 視点・論点 「シリーズ戦争と若者・竹内浩三の詩」NHK解説委員室公式サイト2014年08月14日、2015年5月11日観覧