章敬王后
章敬王后尹氏(しょうけいおうごう いんし、チャンギョンワンフ、弘治4年7月6日(1491年8月11日) - 正徳10年12月7日(1516年1月10日))は李氏朝鮮第11代国王中宗の2番目の王后。諡号は淑愼明惠宣昭懿淑章敬王后。本貫は坡平尹氏。
坡原府院君 靖憲公 尹汝弼と順天府夫人朴氏の娘で、1506年淑儀の身分で中宗の後宮に入り、1507年、端敬王后(タンギョンワンフ)慎氏の廃妃と共に王后に冊封される。 1511年には、孝惠公主を、1515年世子峼(仁宗)を産むが産後の病のため死去。兄に尹任(大尹)が居る。幼かった時には叔母であり月山大君(成宗の兄)の夫人、昇平府夫人朴氏(順天府夫人朴氏の姉)に養育された。 曽祖父の尹士昀は貞熹王后(世祖の王妃)と兄弟で、文定王后(中宗の三番目の王后)の高祖父と兄弟。