神経堤

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ヒト胎芽の神経堤の発達、異なる段階を描いたもの

神経堤(しんけいてい、neural crest)は、脊椎動物(ヒトでは胎芽と呼ぶ)に過渡的に存在し、神経管が形成される時期に神経管と表皮(あるいは神経襞の自由縁)の間に位置する組織の名称。神経冠ともいう。神経堤細胞は神経胚形成期からその直後にかけて、急速な遊走を行う。

神経堤はその重要性から第四の胚葉と呼ばれてきた。神経堤から自律神経系神経細胞神経膠細胞、骨格の一部、平滑筋軟骨細胞、細胞、メラニン細胞(メラノサイト)、クロム親和性細胞、一部のホルモン産生細胞などが分化する。

歴史と名称

1868年にスイスの発生学者ヴィルヘルム・ヒスは、ニワトリの神経胚にある背側外胚葉と神経管の間にある細胞の列を’zwischenstrang'(中間にあるひも)として記述している[1]

その後1950年代まで、神経堤についての研究はほとんど両生類胚で行われた(スウェーデンの発生学者スヴェン・ヘルスタディウスによる総説[2])。魚類を研究したニュースは、神経堤を「胚期の注目すべき構造」と記述した[3]が、その後10年間その起源は謎のままだった。

1960年代にチミジン三重水素化による細胞ラベリング法がシボン[4]とウェストン[5]によって開発されたことにより、両生類と鳥類でこの分野の大きな進展が見られた。しかしこの方法が使われたのは一時的であり、ニワトリとウズラのキメラを作ることによって、確かな結論が得られた。1970年代に行われた精力的な諸研究についてはニコル・ル=デュアランによる概説書に詳しい[6]

神経堤細胞という名称は、両生類や鳥類における神経胚形成期での外胚葉吻側部(これを神経堤と呼んだ)からの遊走を明らかにした研究によって名づけられたものである。ヒトでは、実際に遊走するのは神経管外側縁からであるが、同じ神経堤という名称が使われている。ドイツ語の "Neuralleiste"、もしくは英語の "neural ridge" を語源とする。

なお、英語の "neural crest" からの直訳である「神経冠」という訳語も使用されている。"neural crest"というのは、神経管が閉じた後に背側で移動を開始する神経堤細胞を、トサカ(鶏冠)に見立てたものである(神経管が閉じる以前に神経堤細胞が移動する場合も多い)。

2008年現在、研究者や書籍によって両方の用語が使用されている。しかし「神経冠」の語を使用した場合、文章上ではいいが口頭では、「しんけいかん」「しんけいかんさいぼう」が「神経管」「神経幹細胞」ときわめて紛らわしく、意思の疎通に支障を生ずるので、「神経堤」の方が妥当という指摘がある[7][8]

誘導

神経堤組織となる細胞は、骨形成タンパク質 (Bone morphogenetic proteint, BMP4, BMP7)、Wnt繊維芽細胞成長因子 (Fibroblast growth factor, FGF) に誘導され、Fox3DRhoBおよびSlugの各タンパクを発現し、またNカドヘリンの発現を抑制する。

  • RhoBタンパクはおそらく遊走に必要な細胞骨格の変化を伝達する[9]
  • Slugタンパクは密着結合を切り離すための因子を活性化させる[10]

神経堤細胞の運命を決定するのはPax3Zic1でこれらが協調的に働くことによって神経堤細胞のマーカーであるFoxd3などが発現する[11]

分類

神経堤は、その機能によって大きく分類される[12]

頭部神経堤

  • 頭部神経堤は顔面および鰓弓に集まり、骨、軟骨、神経および結合組織を形成する。骨と軟骨を形成するのは頭部神経堤細胞だけである。
遊走先として

迷走・坐骨神経堤

体幹部神経堤

  • 迷走神経堤と坐骨神経堤の間にあるものを体幹部神経堤とよび、これは二つのグループに分かれる。一つは背外側に遊走して皮膚に分布し、色素細胞となる。もう一つのグループは、椎板の前方をぬけて腹外側に遊走し、副腎髄質のアドレナリン産生細胞となったり、交感神経の神経細胞となる。椎板の中に残って脊髄後根神経節(知覚神経)となるものもある。
遊走先として
  • 脊髄の近傍に列状に並び、後根神経節を形成する
  • 皮膚の中に遊走し、メラニン細胞やメルケル細胞となる
  • 脊柱の近傍に遊走して交感神経幹となる

心臓神経堤

  • 心臓神経堤は迷走神経堤と重複する位置にあり、遊走して第3、第4、第6鰓弓および心臓に分布する。心臓から生じる大血管を分ける結合組織になる。

遊走

神経堤細胞が遊走するには、細胞外マトリックスであるインテグリンフィブロネクチンラミニンの相互作用が必要である。エフリンは椎板後方部に発現し、腹側経路にある体幹部神経堤細胞に対する抑制性のリガンドであり、細胞内のチロシンキナーゼを活性化させて細胞移動にかかわる重要な細胞骨格であるアクチンの阻害タンパクをリン酸化する。その結果これらの細胞が椎板前方に遊走するようになる。トロンボスポンジンは椎板前方部への遊走を促進する。これらが間違った場所で発現してしまうと、色素細胞がその場所に遊走、増殖する。

可塑性

神経堤細胞はさまざまな程度の可塑性を示す。体幹部神経堤細胞の中には、多能性を持つものがある。頭部神経堤細胞は、体幹部に移植すると体幹部神経堤細胞となる。しかし心臓神経堤細胞は、遊走前から役割が決定されている(心臓神経堤細胞だけがPax3を発現する)。

臨床上の問題

神経堤の誘導、形成、遊走の欠陥に起因する疾患を 神経堤症(ニューロクリストパチーneurocristopathy) といい、このうち限局性白皮症ヒルシュスプルング病を引き起こす遺伝子がマウスやラットのモデルでクローンされている[13]

脚注

  1. ^ Neural Crest Introduction2008年3月24日閲覧
  2. ^ Neural Crest and the Origins of Craniofacial Pattern 2008年3月24日閲覧
  3. ^ Newth DR (1950). "Fate of the neural crest in lampreys". Nature 165 (4190): 284
  4. ^ Chibon P (1967). "[Nuclear labelling by tritiated thymidine of neural crest derivatives in the amphibian Urodele Pleurodeles waltlii Michah]" (in French). Journal of embryology and experimental morphology 18 (3): 343–58.
  5. ^ Weston JA (1963). "A radioautographic analysis of the migration and localization of trunk neural crest cells in the chick". Dev. Biol. 6: 279–310.
  6. ^ Kalcheim, Chaya; Le Douarin, N. (1999). The neural crest. Cambridge, UK: Cambridge University Press. ISBN 0-521-62010-4.
  7. ^ 『神経堤細胞 - 脊椎動物のボディプランを支えるもの』倉谷滋・大隅典子 著 東京大学出版会 発行 1997年 §1.2「神経堤か神経冠か - 訳語の問題」p.6
  8. ^ 『エッセンシャル発生生物学(改訂第2版)』Jonathan Slack 著 大隅典子 訳 羊土社 発行 2007年 p.85訳者注1
  9. ^ Liu JP, Jessell TM (1998). "A role for rhoB in the delamination of neural crest cells from the dorsal neural tube". Development 125 (24): 5055–67.
  10. ^ Vernon AE, LaBonne C (2006). "Slug stability is dynamically regulated during neural crest development by the F-box protein Ppa". Development 133 (17): 3359–70.
  11. ^ 佐藤貴彦ら,"Neural crest determination by co-activation of Pax3 and Zic1 genes in Xenopus ectoderm".Development 132 (10):2355-2363.PDFファイル
  12. ^ Neural Crest Migration 2008年3月26日閲覧
  13. ^ Ceccherini, I., Zhang, AL., Matera, I., Yang, G., Devoto, M., Romeo, G., Cass, DT.Interstitial deletion of the endothelin-B receptor gene in the spotting lethal (sl) rat Hum. Mol. Genet. 4: 2089-2096, 1995

参考文献

  • Sadler T.W., Langman's medical embryology, 7th ed. Baltimore: Williams & Wilkins, 1995, pp312-323. ISBN 068307489X