直峰城
直峰城 (新潟県) | |
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城郭構造 | 山城 |
築城主 | 風間信昭? |
築城年 | 南北朝時代? |
主な城主 | 風間氏、上杉氏、吉田氏、小日向氏、樋口氏、堀氏(堀光親)[1] |
廃城年 | 1610年 |
指定文化財 | 県指定史跡[2] |
直峰城(のうみねじょう)は、現新潟県上越市にあった日本の城。
歴史
最初に城が築かれた時期は不明だが、南北朝時代、南朝方の風間信昭が本拠地としていた。やがて南朝方が壊滅すると越後守護上杉氏の支配下に組み込まれた。
1507年の永正の乱では、関東へ逃亡中の守護上杉房能が立ち寄ったが長尾為景軍の追撃を受けて松之山に逃れ、八月七日に天水越で自刃している。
為景の子景虎(のちの上杉謙信)の代になると関東遠征の際、春日山城から三国峠へ向かう最短経路上の繋ぎの城として重視された。
慶長3年(1598年)、上杉景勝が会津へ移封された後は春日山城に入府した堀秀治の重臣堀光親が城主となったが、慶長15年(1610年)に堀忠俊が改易されると廃城となった。
参考文献
- 『上越市史叢書9 上越の城』 (新潟県上越市、2004)