直峰城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。114.183.59.178 (会話) による 2015年12月31日 (木) 16:15個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

logo
logo
直峰城
新潟県
城郭構造 山城
築城主 風間信昭
築城年 南北朝時代
主な城主 風間氏上杉氏吉田氏小日向氏樋口氏堀氏堀光親[1]
廃城年 1610年
指定文化財 県指定史跡[2]
テンプレートを表示

直峰城(のうみねじょう)は、現新潟県上越市にあった日本の城

歴史

最初に城が築かれた時期は不明だが、南北朝時代、南朝方の風間信昭が本拠地としていた。やがて南朝方が壊滅すると越後守護上杉氏の支配下に組み込まれた。

1507年永正の乱では、関東へ逃亡中の守護上杉房能が立ち寄ったが長尾為景軍の追撃を受けて松之山に逃れ、八月七日に天水越で自刃している。

為景の子景虎(のちの上杉謙信)の代になると関東遠征の際、春日山城から三国峠へ向かう最短経路上の繋ぎの城として重視された。

慶長3年(1598年)、上杉景勝会津へ移封された後は春日山城に入府した堀秀治の重臣堀光親が城主となったが、慶長15年(1610年)に堀忠俊改易されると廃城となった。

参考文献

  • 『上越市史叢書9 上越の城』 (新潟県上越市、2004)

関連項目

脚注

  1. ^ [1]
  2. ^ 県指定文化財” (PDF). 新潟県 (2012年4月1日). 2013年4月4日閲覧。