的山荘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。あいさんさん (会話 | 投稿記録) による 2021年6月10日 (木) 12:43個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎外部リンク)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

的山荘(てきざんそう)は、大分県速見郡日出町にある1915年大正4年)完成の邸宅(別邸)。国の重要文化財に指定されるとともに、おおいた遺産に選定されている。現在は日本料理店として営業している[1]。また、庭園は国の登録記念物に登録されている。

沿革

的山荘

大分県杵築市山香町にあった馬上金山の経営で財をなした成清博愛(なりきよ ひろえ)が、日出町に建てた別邸である。「的山」は鉱山を当てるという意味で、博愛の雅号に由来する。1991年平成3年)に「的山荘(附日本庭園)」として日出町の有形文化財に、2014年(平成26年)には建造物5棟および土地が「旧成清家日出別邸」として国の重要文化財に指定され、2015年(平成27年)には庭園が「旧成清博愛別邸庭園(的山荘庭園)」として国の登録記念物に登録されている。

博愛は、1913年(大正2年)に、金山の積み出し港があった大分県速見郡日出町の日出城(暘谷城)三の丸の日出藩屋敷跡の約3,670坪を購入。1914年(大正3年)3月に別邸の建築に着工し、総工費25万円を投じて1915年(大正4年)1月に完成した。

1964年昭和39年)に、博愛の孫の成清信輔がこの別邸を料亭として開業[2]。日出城下の海岸近くで漁獲される城下かれいの名店として全国に知られた。しかし、老朽化等によって個人での維持管理が困難となったことから、2010年(平成22年)3月に日出町が施設を購入[3]。成清家による料亭としての営業は2011年(平成23年)3月に終了し、同年5月11日に日出町の指定管理施設として日本料理専門店に改装してオープンした[1]

建築

江戸様式の切妻造、桟瓦葺の腕木門。門から日本家屋への通路は、完成当初は砂利道であったが、後に石畳敷とされている。

本屋

木造平屋近代和風建築で、玄関の式台、座敷床の間、付書院、棚、各部屋間の欄間等には、江戸時代以来の伝統的な様式・手法を見ることができる。

庭園

高崎山築山に、別府湾を泉水にそれぞれ見立てて借景とした日本庭園である。庭園内には皇族による記念植樹8本もある。自由に散策することができ、2012年(平成24年)4月には花見のために無料で開放された[4]

文化財

重要文化財

  • 旧成清家日出別邸 5棟[5]
    • 主屋
    • 東離れ
    • 北離れ
    • 土蔵
    • 正門
    • (附指定)板塀2棟
    • 土地 10,870.07平方メートル(区域内の石柱、煉瓦塀、煉瓦倉庫、井戸、石敷、石垣、池、石橋を含む)

登録記念物

  • 旧成清博愛別邸庭園(的山荘庭園)

脚注

  1. ^ a b 日出の顔再出発 的山荘日本料理店に 大分合同新聞、2011年5月12日
  2. ^ 施設案内 的山荘
  3. ^ 成清家100年の歴史に幕 日出町の的山荘 大分合同新聞、2011年3月30日
  4. ^ 花見客に庭園を無料開放 1日から的山荘で 大分合同新聞、2012年3月30日
  5. ^ 平成26年9月18日文部科学省告示第131号

外部リンク

座標: 北緯33度21分59.8秒 東経131度32分1.6秒 / 北緯33.366611度 東経131.533778度 / 33.366611; 131.533778