土倉麻
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(田島麻から転送)
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選手情報 | ||||
フルネーム | どぐら あさ | |||
ラテン文字 | Asa Dogura | |||
国籍 | 日本 | |||
種目 | 短距離走 | |||
生年月日 | 1914年6月11日[1] | |||
出身地 | 京都府京都市 | |||
没年月日 | 2008年4月20日(93歳没) | |||
死没地 | 神奈川県鎌倉市 | |||
自己ベスト | ||||
100m | 12秒5(1932年)[1] | |||
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土倉 麻(どぐら あさ、1914年6月11日 - 2008年4月20日[2])は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。1932年ロサンゼルスオリンピックに女子100メートル競走および400メートルリレー走で出場。
同じロサンゼルスオリンピック参加者の田島直人と結婚し、田島姓となった[2]。日本のオリンピック選手同士の結婚の第一号である[3]。
来歴
[編集]京都市出身[2]。祖父は「大和の山林王」と謳われた土倉庄三郎で、庄三郎の長男・鶴松の娘が麻である[3]。
京都府立京都第一高等女学校高等科(現在の京都府立鴨沂高等学校)[4]在学中、1932年ロサンゼルスオリンピックに女子100メートル競走および400メートルリレー走に出場。前者は予選落ちしたが、後者で日本チーム(他に中西みち・村岡美枝・渡辺すみ子)は5位に入賞した[1]。
ロサンゼルスに向かう船上で、走幅跳で出場した田島直人(三井砂川鉱山社員、京都帝国大学OB)と知り合う[3]。田島直人が三段跳で金メダルを獲得した1936年ベルリンオリンピック後に二人は結婚した[2]。
1964年東京オリンピックでは、国立競技場でVIPのアテンド(案内・接待や通訳など)やメダルセレモニーの際のホステス役を務める「コンパニオン」が設けられ、当初は陸上競技関係者[注釈 1]に声がかけられた(のちに公募もされる)[5]。麻も娘とともにコンパニオンを務めている[5]。
2008年4月20日、大腸癌のため鎌倉市の病院で死去した[2]。
備考
[編集]- 田中英光の小説「オリンポスの果実」の登場人物“内田”のモデルの一人とされ、戦後の雑誌の記事で「内田のモデルは私だと、よくいわれますが、80米ハードルの中西さんとのミックスだと思います」と証言している[6]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “Asa Dogura Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月18日閲覧。
- ^ a b c d e “ロス五輪女子短距離選手 田島麻さん死去”. スポーツニッポン. (2008年4月21日) 2019年10月11日閲覧。
- ^ a b c 本井康弘 2019, p. 74.
- ^ 中澤篤史 2010, p. 41.
- ^ a b c “第66回 間近で見た「オリンピック・ムーヴメント」 星野綾子”. スポーツ 歴史の検証 Voice of Legends インタビュー. 笹川スポーツ財団. 2021年3月19日閲覧。
- ^ 『サンデー毎日』1979年6月3日号、p136
参考文献
[編集]- 中澤篤史「オリンピック日本代表選手団における学生選手に関する資料検討:1912年ストックホルム大会から1996年アトランタ大会までを対象に」『一橋スポーツ研究』第29巻、2010年、37-48頁、2021年3月3日閲覧。
- 本井康弘「同志社初の女性オリンピアン ―横田みさを(1932年LA大会)―」『同志社時報』第147号、学校法人同志社、2019年、2021年3月18日閲覧。