狩野永泰
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狩野 永泰(かのう えいたい、生年不明 - 天保13年(1842年)は、江戸時代後期に京都を中心に活躍した京狩野の絵師。名は泰、字は東美、通称は式部。冷泉為恭の父として知られる。
略伝
[編集]狩野永章(景山洞玉、1762年-1830年?)と俳人白絲(生没年不詳)の子として生まれる。兄に狩野永岳がいる。妻は俳人北川梅價の娘織乃。その三男が冷泉為恭である。父永章は狩野元信に憧れた復古調の京狩野の絵師で、中々の力量を持った絵師だった。
『平安人物志』文政5年、同13年、天保9年版に載り、その記述から初め橘泰と名乗り、父を次いで二代景山洞玉、やがて狩野姓を受け其同、永泰と称したと想定される。また一時大阪に住み、大坂の絵師・和田呉山らと交流した。更に大坂城障壁画御用に参加、大坂の人名録『続浪華郷友録』にも名前が載り、伊勢守であったことが知られる。
主要現存作品
[編集]作品名 | 技法 | 形状・員数 | 所有者 | 年代 | 落款・落款 | 備考 |
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中国故事図押絵貼屏風[1] | 紙本墨画 | 六曲一隻 | 敦賀市立博物館 | 落款「其同景永泰製」/「泰」朱文方印・「其同」白文方印 | ||
富士越龍之図 | 絹本墨画淡彩 | 1幅 | 関西大学図書館 | |||
四季草花図屏風 | 紙本金地著色 | 六曲一双 | 個人 | |||
洛中洛外図屏風 | 六曲一双 | 個人 | ||||
放生図 | 絹本著色 | 1幅 | 個人 | 落款「其同景永泰謹寫」 | 放生会の様子を描いた珍しい作品。上部に建長寺の僧・真浄元苗の賛があり、この絵が浄土宗の僧・純称の功績を讃えるために描かれたのがわかる。純称は文化13年(1816年)に『放生歓喜(よろこび)草』という本を出版し、殺生の不道徳さと、放生の功徳を分かり易く庶民に説いた[2]。 | |
真田信利像[3] | 絹本著色 | 1幅 | 京都・妙心寺大法院 | 1837年(天保8年) | ||
天保山真景図 | 絹本著色 | 1幅 | 大阪歴史博物館 | 1838年(天保9年) |
脚注
[編集]- ^ 敦賀市立博物館編集・発行 『特別展 館蔵逸品図録(続)』 1998年9月22日、pp.13、72。
- ^ 府中市美術館『動物絵画の250年』府中市美術館、2015年、177頁。 NCID BB18512433。全国書誌番号:22607122 。
- ^ 花園大学歴史博物館, 福島恒徳, 志水一行, 青江智洋, 山口洋子『大法院展 : 真田家と佐久間象山ゆかりの文化財』花園大学歴史博物館、2010年、17, 74頁。 NCID BB02256108 。
参考資料
[編集]- 中谷伸生「狩野永泰筆《富山帯雲之図・海岩逆浪之図》(建仁寺久昌院蔵)」『関西大学博物館紀要』第15巻、関西大学博物館、2009年3月、86-91頁、ISSN 1341-4895、NAID 120006332373。
- 門脇むつみ「狩野永泰筆 四季草花圖屏風」『国華』第107巻9 (通号 1278)、2002年、20-23頁、ISSN 00232785、NAID 110000449533。