海輪誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Evelyn-rose (会話 | 投稿記録) による 2022年2月1日 (火) 01:50個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎参考文献)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

かいわ まこと

海輪 誠
生誕 (1949-09-25) 1949年9月25日(74歳)
日本の旗 日本 東京都足立区
出身校 東北大学法学部
職業 東北電力 代表取締役会長
東北経済連合会 会長
活動期間 1973年 -
肩書き 東北電力 相談役
任期 2021年4月1日 -
テンプレートを表示

海輪 誠(かいわ まこと、1949年(昭和24年)9月25日 - )は、日本の実業家東北電力相談役、元社長、元会長東北経済連合会会長。ゆうちょ銀行社外取締役

人物

東京都足立区出身。東京都立上野高等学校卒業後、東京大学への進学を目指し浪人生活に入るが、1969年の東大入試は、東大紛争の煽りを受け休止となってしまう。そこで飛行機に乗らずに帰省できるとの理由から東北大学への入学を決めた[1]

学寮生活時代、見初めた女性が秋田出身であったことや、女性の家族から「海輪」姓を継ぐことを懇請されたことなどもあり、東北電力への就職を決め、大学卒業前、その女性と籍を入れた[2]

55歳で取締役に抜擢され、社内外の人脈も幅広く、新潟支店長時代には中越沖地震からの復旧に向け奔走[3]2010年には、同社社長に就任した。

東日本大震災当日は、午後から空路で名古屋に滞在中であったが、地震発生を受け予定をキャンセル。中部国際空港へ舞い戻り、席のやりくりのついた新潟行きのプロペラ機に乗り、18時過ぎ、同社新潟支店に到着。テレビ会議システムを通じた訓示を行い、23時過ぎチャーターしたタクシーで同支店を出発。日本海沿岸東北自動車道を北上。村上を経由し、同社小国サービスセンター、山形支店での督励を経て、地震翌日の午前4時過ぎ本店に帰社。以後本店6階に設置された非常災害対策本部にて、復旧活動の陣頭指揮を執った[4]

2015年6月の株主総会取締役会後、震災からの設備復旧に一定の目処がついたことや、電気料金を引き上げるとともに構造改革と業務効率化が進んだことから会長に退いた[5][6]

略歴

脚注

  1. ^ 『電力と震災 東北「復興」電力物語』P 21
  2. ^ 『電力と震災 東北「復興」電力物語』P 22
  3. ^ 日本経済新聞 2010年6月3日
  4. ^ 『電力と震災 東北「復興」電力物語』P 149
  5. ^ “東北電社長に原田氏、業績復調で「本命」にバトン”. 日本経済新聞. (2015年3月27日). http://www.nikkei.com/article/DGXLZO84904020W5A320C1L01000/ 2015年3月27日閲覧。 
  6. ^ “<東北電>5年ぶりトップ交代 社長に原田氏”. 河北新報. (2015年3月26日). http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201503/20150326_13020.html 2015年3月27日閲覧。 
  7. ^ “<東経連50年>復興へ新ビジョン策定着手”. 河北新報. (2016年6月9日). http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201606/20160609_12002.html 2016年6月9日閲覧。 
  8. ^ 人事、ゆうちょ銀行 2019/5/15 16:47)
  9. ^ 東北電会長に増子氏 6年ぶり交代、海輪氏は相談役に 4月1日付 2021.1.27 15:00 河北新報]

参考文献

先代
高橋宏明
東北電力社長
2010年6月29日 - 2015年6月25日
次代
原田宏哉
先代
高橋宏明
東北電力会長
2015年6月25日 - 2021年4月1日
次代
増子次郎