池田禎治
池田 禎治(いけだ ていじ、1910年1月22日 - 1977年2月26日)は、日本の政治家。衆議院議員。
経歴
福岡県出身。戦後日本社会党の結党に参加し西尾末広系の党内社会党右派に所属。 福岡県小倉市(現在の北九州市小倉南区蜷田若園近辺)の県営アパートの一室を借りて、かなり手狭な社会党支部を開いている。(朝日新聞社発刊「日本社会党」1955年より)
年譜
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
- 1952年10月、第25回衆議院議員総選挙で日本社会党(右派)から出馬し初当選。
- 1953年4月、第26回衆議院議員総選挙で再選。
- 1955年2月、第27回衆議院議員総選挙で再選
- 1955年10月、左右社会党が統一。
- 1958年5月、第28回衆議院議員総選挙で再選。
- 1960年1月、民主社会党(後の民社党)結党に参加。
- 1960年11月、第29回衆議院議員総選挙で落選。
- 1963年11月、第30回衆議院議員総選挙で落選。
- 1967年1月、第31回衆議院議員総選挙で返り咲き。
- 1968年、西村栄一委員長の下で佐々木良作国対委員長が書記長に就任に伴い後任の党国会対策委員長に就任。
- 1969年12月、第32回衆議院議員総選挙で再選。
- 1971年春日一幸委員長の就任で国対委員長を留任し自民党田中角栄幹事長が公明党矢野絢也書記長らと共に『沖縄関連法案』の修正案に応じる。
- 1972年国対委員長を退任(後任の国対委員長に塚本三郎が内定)。
- 1972年12月、第33回衆議院議員総選挙で再選。
- 1976年12月、第34回衆議院議員総選挙で落選し、政界引退。