水野辰彌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2020年7月20日 (月) 05:23; Lifeonthetable (会話 | 投稿記録) による版(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

水野 辰彌(みずの たつや、1915年 - 1947年)は、日本の元アマチュア野球選手。愛知県出身。

来歴・人物[編集]

愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校)から1934年早稲田大学に進み、野球をプレーした。ポジションは左翼手だったと伝わる。

早大卒業後応召され、中国で終戦を迎える。その後国民革命軍大佐として国共内戦に携わり、1947年(正確な死没月日は不明)に中国国内で戦死した。享年32。

東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名が刻まれている[1]

脚注[編集]

  1. ^ 戦没野球人モニュメント-モニュメントに刻まれた戦没野球人一覧(野球殿堂博物館のページ)

外部リンク[編集]