出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "水野辰彌" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年9月) |
| この記事の主題はウィキペディアにおける人物の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。 基準に適合することを証明するために、記事の主題についての信頼できる二次資料を求めています。なお、適合することが証明できない場合には、記事は統合されるか、リダイレクトに置き換えられるか、さもなくば削除される可能性があります。 出典検索?: "水野辰彌" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年9月) |
水野 辰彌(みずの たつや、1915年 - 1947年)は、日本の元アマチュア野球選手。愛知県出身。
来歴・人物[編集]
愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校)から1934年に早稲田大学に進み、野球をプレーした。ポジションは左翼手だったと伝わる。
早大卒業後応召され、中国で終戦を迎える。その後国民革命軍大佐として国共内戦に携わり、1947年(正確な死没月日は不明)に中国国内で戦死した。享年32。
東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名が刻まれている[1]。
- ^ 戦没野球人モニュメント-モニュメントに刻まれた戦没野球人一覧(野球殿堂博物館のページ)
外部リンク[編集]