横浜館

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横浜館
青森県
城郭構造 平城
築城主 佐々木氏?
築城年 不明
主な城主 佐々木権太郎・権次郎、横浜氏
廃城年 天正20年(1592年)以前?
遺構 埋没
指定文化財 史跡等未指定[1]
埋蔵文化財
包蔵地番号
青森県No.406022[1]
位置 北緯41度05分12.3秒 東経141度14分54.3秒 / 北緯41.086750度 東経141.248417度 / 41.086750; 141.248417座標: 北緯41度05分12.3秒 東経141度14分54.3秒 / 北緯41.086750度 東経141.248417度 / 41.086750; 141.248417
地図
横浜館の位置(青森県内)
横浜館
横浜館
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横浜館(よこはまだて)は、青森県上北郡横浜町舘ノ後に所在した日本の城跡。

外国

陸奥湾より東方120メートル、上北郡野辺地町むつ市の中間にあたるJR東日本大湊線陸奥横浜駅前の市街地に位置し、東西150メートル×南北200メートルの規模をもった城郭である。14世紀の中国青磁一片が出土している。現在は、宅地化のため遺構は埋没し不明確であるが、中世の埋蔵文化財包蔵地としてNo.406022の遺跡番号が付られている[1]

沿革

築城時期は不明。天喜年間(105358年)には、佐々木権太郎・権次郎兄弟が居住し、その後、戦国期には七戸南部氏一族横浜氏が支配し、七戸朝慶の三子、慶則が横浜氏を継ぎ横浜館に居住したという。天正年間(157392年)に三戸へ移ったと伝えられる。

天正20年(1592年)、「諸城破却書上」には、横浜館は見えない。

脚注

  1. ^ a b c 「青森県遺跡地図」青森県公式HP

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 2 青森県』角川書店、1985年12月1日。ISBN 4040010205 
  • (有)平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 第2巻 青森県の地名』平凡社、1982年7月10日。 
  • 児玉幸多坪井清足日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』新人物往来社、1980年7月15日。 

関連項目

外部リンク