榊山神社 (中津川市)
榊山神社 | |
---|---|
所在地 | 岐阜県中津川市福岡500番地 |
位置 | 北緯35度33分35.67秒 東経137度27分18.52秒 / 北緯35.5599083度 東経137.4551444度 |
主祭神 | 建速須佐之男命 天照大御神 伊邪那美之命 |
社格等 | 郷社 金幣社 |
創建 | 養老年間 |
例祭 | 7月第4土・日曜日 |
榊山神社(さかきやまじんじゃ)は、岐阜県中津川市にある神社。旧社格は郷社。
歴史
社伝によれば養老年間創建(717年 - 723年)という。言い伝えによると、荒田栄久という人物の家の庭に、突然7本の杉苗が空から落ちてきたという。その時、栄久の息子が、「牛頭天王の神木であり、この地の守護神になる」と口走ったという。栄久は杉苗を植えて社殿を築き、「飛天王」と称して牛頭天王を氏神として祀ったのが始まりという。また、この出来事が地名の植苗木(現・中津川市立福岡小学校付近)の由来である。
鎌倉時代、加藤景廉がこの地を治める。その子孫の遠山景村が広恵寺城をこの地に築くと、飛天王を厚く保護したという。以降、遠山氏により保護されていたという。鎌倉時代末期から南北朝時代頃、広恵寺城に宗良親王が身を寄せていたという言い伝えがある。敵軍に攻められたさい、遠山景利が飛天王に祈ると、社殿から敵軍に矢が放たれ、たちまち暴風雨がおきて敵軍が退散したという。
戦国時代の天文年間、遠山直廉が苗木城を築城すると、飛天王も苗木城に移転しようとしたが、神体が途中で動かなくなってしまう。直廉はこの地に飛天王を祀ることにし、天文10年(1541年)に新たな社殿を築いたという。これが現社地である。
江戸時代には苗木藩の保護を受けた。明治元年(1868年)に榊山神社に改称する。現在の建物の大半は昭和11年(1936年)再建である。
祭神
例祭
- 毎年7月第4土・日曜日の例祭は、「たたき祭り」という。巫子による舞、神への祝詞が奉上されると、氏子の代表らが参拝者を榊でたたいていくものである。
- 天文年間、遠山直廉が飛天王を苗木城に移転しようとしたさい、この地で御神体が動かなくなってしまった。家臣たちは最後の手段として榊の枝で供の者をたたいたが御神体は動かなかったという。この言い伝えにたたき祭りは由来する。詳細:榊山神社
文化財
重要文化財
- 太刀 銘 吉則[1] - 南北朝時代の山城国の刀工・三条吉則の作で、「吉則」二字銘があり、「吉則の太刀」と呼ばれている。第12代苗木藩主遠山友禄の寄進である。1928年に重要文化財に指定され[1]、現在は中津川市苗木遠山史料館に寄託されている。
中津川市指定文化財
所在地
- 岐阜県中津川市福岡500番地
交通機関
- 北恵那交通付知峡線「福岡総合事務所前」下車。
その他
- 上苗木の飛天王の跡地には、明治32年(1899年)植苗木神社が創建されている。