桂歌春
桂 歌春 | |
本名 | 田代 修吉 |
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生年月日 | 1949年9月9日(74歳) |
出身地 | 日本・宮崎県 |
師匠 | 2代目桂枝太郎 桂歌丸 |
名跡 | 1. 桂枝八(1970年 - 1979年) 2. 桂歌はち(1979年 - 1985年) 3. 桂歌春(1985年 - ) |
活動期間 | 1970年 - |
所属 | 日本芸術協会→落語芸術協会 |
公式サイト | 桂歌春のホームページ |
受賞歴 | |
第29回国立演芸場花形若手演芸会新人賞銀賞(1986年) | |
備考 | |
落語芸術協会理事 | |
桂 歌春(かつら うたはる、本名:田代 修吉、1949年9月9日 - )は、日本の落語家。宮崎県東臼杵郡富島町(現在の日向市)出身。落語芸術協会所属。同協会理事。
人物
宮崎県立延岡西高等学校卒、1970年西南学院大学2年の時に上京して2代目桂枝太郎門下に弟子入りし桂枝八となる。その後、師匠・枝太郎の死去により桂歌丸門下に移り「歌はち」となり、後に真打昇進し歌春と改名。即ち、2代目枝太郎の最後の弟子にして、歌丸一門の惣領弟子に当たる。出囃子は『さわぎ』。
枝八時代にTBSテレビの公開生番組『ぎんざNOW!』の司会者を勤める(主にせんだみつおの補佐役として番組の盛り上げ役担当)。 この番組はホリプロと提携しており、1977年のデビューである榊原郁恵、荒木由美子といったアイドルの歌のコーナーでは、振り付けを真似たコミカルな踊りをしたりして、笑いを取る。
歌はち時代に日本テレビ系『笑点』の若手大喜利コーナーに出演したこともあってか、歌丸の弟子の中では知名度がある方。歌丸が日テレ系『いろもん参』に出演した際には、司会陣(笑福亭鶴瓶、今田耕司、東野幸治)のうち誰かの「有名なお弟子さんはどなたがいらっしゃるんですか? 3人お答え下さい」という内容の質問に「歌春、歌春、歌春」と連呼している。
本人曰く、歌丸一門で歌春ら弟子の家族なども招待した食事会(会場は、歌丸の自宅や横浜中華街が主とのこと)などの宴席を開くことがあるが、歌丸が酒が飲めないため[1]、歌丸が「お茶(が飲みたい)」というと、弟子一同「私もお茶」となるため、酒がまったく入らず、一門での宴会は静かな宴席になることを暴露している。
また、6代目三遊亭圓楽の襲名披露口上の際には「次の歌丸でございます」と述べた。ちなみに、六代目圓楽とは同年齢であり入門時期も同じ年である(しかし「それ以上のことは知らない」とも述べている)。
娘の田代沙織は歌春から落語の教えを受けて、落語が出来るアイドル「ラクドル」として芸能活動を始めている。息子の田代尚也はテレビ番組の制作者で、TBS系のトーク番組『爆!爆!爆笑問題』などのADを務める[2]。
弟弟子が最初の師匠の名跡を継いだことについて、当初は師匠の名前でもあった「枝太郎」と呼び捨てに出来なかったと苦笑いしていたと語っている。
故郷の日向市観光大使に就任した。また、日向文化賞を受賞している。さらに「ひむかの国 こども落語全国大会」の大会会長(大会名誉会長は師匠の桂歌丸)を務めている。
芸歴
- 1970年10月 2代目桂枝太郎に入門、枝八を名乗る。
- 1972年4月 前座になる。
- 1976年4月 二つ目に昇進。
- 1978年3月6日 師匠枝太郎が死去。
- 1979年3月 歌丸門下に移り「歌はち」と改名。
- 1985年9月 真打に昇進し、桂歌春と改名。
- 1986年9月 第29回国立演芸場花形若手演芸会新人賞銀賞(「大工調べ」で)。
- 2005年3月 落語芸術協会監事就任。
元弟子
関連項目
出典
- ^ 歌丸の自宅にも酒を飲むための道具をまったく置いていない。
- ^ “弟がTVに写った!!”. 田代沙織の公式ブログ『田代沙織のRAKUGO★な毎日』. (2010年4月8日)