柏原城 (伊賀国)

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柏原城
三重県
本丸
本丸
別名 滝野城
城郭構造 輪郭式平山城
築城主 滝野貞清
築城年 1558年(永禄元年) - 1570年(元亀元年)の間
主な城主 滝野貞清
滝野吉政
遺構 東側に二重の空堀、主郭虎口石垣痕跡、御滝女郎化粧井戸(大井戸
位置 北緯34度35分40秒 東経136度05分00秒 / 北緯34.59444度 東経136.08333度 / 34.59444; 136.08333座標: 北緯34度35分40秒 東経136度05分00秒 / 北緯34.59444度 東経136.08333度 / 34.59444; 136.08333
地図
柏原城の位置(三重県内)
柏原城
柏原城
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柏原城(かしはらじょう)は、現在の三重県名張市赤目町柏原に所在した日本の城滝野城とも呼ばれる。

立地と構造

高善山(竜神山)の北西にあたる丘陵地にあり、単郭四方土塁・周濠の城で、多重の空堀などの構造を持つ。東側に二重の空堀、主郭虎口の石垣痕跡が現存、東隅に「御滝女郎化粧井戸」と呼ばれる大井戸が残っている。

歴史

1558年(永禄元年) - 1570年(元亀元年)の間に滝野貞清が築城したとされる。1574年天正2年)に貞清が死去した後は滝野吉政が継ぐ。1581年(天正9年)の天正伊賀の乱では、城主・滝野吉政百地丹波をはじめ、近在や比自山城から落ち延びてきた土豪など、1600余人で立て篭もり織田信長に抵抗した[1]。最終的には和議に応じて開城した[1]

周辺

脚注

出典

  1. ^ a b 市民大学講座 天正伊賀の乱「柏原決戦」〜part1〜 (PDF) - 赤目まちづくり委員会(2017年2月)