松蔭寺 (横浜市)

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松蔭寺
所在地 神奈川県横浜市鶴見区東寺尾1-18-1
位置 北緯35度30分04.8秒 東経139度39分00.8秒 / 北緯35.501333度 東経139.650222度 / 35.501333; 139.650222座標: 北緯35度30分04.8秒 東経139度39分00.8秒 / 北緯35.501333度 東経139.650222度 / 35.501333; 139.650222
山号 仙鶴山
宗派 臨済宗建長寺派
本尊 木造釈迦如来立像
創建年 建武元年(1334年)
開山 枢翁妙環
中興 廣山
正式名 仙鶴山 松蔭寺
札所等 鶴見七福神 布袋尊
旧小机領三十三所子歳観音霊場11番
文化財 銅造如来坐像(市指定文化財)
法人番号 7020005000284 ウィキデータを編集
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松蔭寺(しょういんじ)は、神奈川県横浜市にある臨済宗建長寺派の寺院[1]山号仙鶴山[2]本尊木造釈迦如来立像[2]

歴史

建武元年(1334年)、建長寺30世の枢翁妙環(仏寿禅師)が建長寺の住持を退いたのち、隠居所として結んだ草庵・正統庵に始まると伝わる[1]。寺を中興した廣山という僧の時代に寺号を松音寺と定めたが、後に現在の寺号である松蔭寺に改めたという[2]。その後、幾度となく襲った火災で什宝や古文書などが失われたため[2]、寺の歴史・沿革についての詳細は不明。なお、仏寿禅師が寂した際に分骨を受け、境内にある墓地にはその墓が置かれているほか[2]、慈眼堂には江戸時代即身仏となった里見義高が祀られている[3]

新編武蔵風土記稿』によれば、江戸時代後期に現在の場所に移され、元々寺があった付近は「本屋敷」と呼ばれたとされる[4]。また同書の記述から、「寺尾」の地名の起源をこの寺とする考えもある[5]

文化財

  • 銅造如来坐像
阿弥陀如来像と伝わる銅製の1躯で東京国立博物館に寄託されている[6]。2016年(平成28年)11月4日に横浜市の有形文化財に指定された[7]

脚注

  1. ^ a b 仙鶴山 松蔭寺”. 鶴見区仏教会 (2012年3月1日). 2020年11月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e 『大日本寺院総覧』 上巻、P..544
  3. ^ 史跡や神社・寺4”. 鶴見区 (2019年3月8日). 2020年11月20日閲覧。
  4. ^ 新編武蔵風土記稿 東寺尾村.
  5. ^ “寺尾”という地名が鶴見区と神奈川区にまたがっている理由は?”. はまれぽ.com (2013年9月26日). 2020年11月29日閲覧。
  6. ^ “人物風土記 臨済宗建長寺派 松蔭寺の住職を務める 川上 敬之さん”. タウンニュース. (2017年1月12日). https://www.townnews.co.jp/0116/2017/01/12/365311.html 2020年11月20日閲覧。 
  7. ^ 国・神奈川県および横浜市指定・登録文化財目録” (PDF). 横浜市. p. 14 (2019年11月5日). 2020年11月20日閲覧。

参考文献

  • 『大日本寺院総覧』 上巻、名著刊行会、1966年12月10日
  • 「東寺尾村 松蔭寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ67橘樹郡ノ10、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763984/84