木村得三郎

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木村 得三郎(きむら とくさぶろう、1890年 - 1958年)は、日本建築家大阪松竹座東京劇場など著名な劇場建築を多く手掛けた。

概要

仙台市出身。1914年、東京美術学校卒業。同年4月、大林組に入社。東京支店設計部長、建築技術部長(1944年)などを経て、1945年11月退社。

東京劇場竣工後の1930年11月、欧米各国へ建築視察のため出張、1931年8月帰国[1]

作品

逸話

  • 三菱銀行会長を務めた串田萬蔵邸(1938年、麹町区一番町)を設計した。当時大学生だった串田孫一は、外遊帰りの木村からヨーロッパの話を聞き、ローマのカタコンベにある古い彫刻のトレース画を贈られた[5]

参考文献

  • 『日本の建築家』(新建築1981年12月臨時増刊)
  • 村松貞次郎『日本建築家山脈』(鹿島出版会、1965年)

注釈

  1. ^ 『大林組70年略史』年表[1]
  2. ^ 村松貞次郎『日本建築家山脈』P148-149。
  3. ^ 村松貞次郎『日本建築家山脈』P154。
  4. ^ 京都における新規ホテル計画の実施を決定”. 帝国ホテル. 2021年5月12日閲覧。
  5. ^ 串田孫一『花火の見えた家』(1960年、『串田孫一集5』所収)。