日本競輪選手会

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日本競輪選手会
Japan Professional Cyclist Union
略称 JPCU
前身 日本プロフェッショナル・サイクリスト連合
設立 1952年昭和27年)4月1日
種類 一般社団法人
法人番号 2011405001596 ウィキデータを編集
目的 自転車競技の技術と資質の向上、自転車競技の普及など。
本部 東京都板橋区蓮根3-14-29
日本競輪選手会本部ビル
公用語 日本の旗 日本
重要人物 理事長 - 佐久間重光
専務理事 - 坂巻正巳
関連組織 日本プロフェッショナルサイクリスト協会
一般財団法人全国競輪選手共済会
ウェブサイト 日本競輪選手会
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一般社団法人日本競輪選手会(にほんけいりんせんしゅかい、Japan Professional Cyclist Union、略称:JPCU)は、日本競輪選手を会員とする一般社団法人2013年平成25年)10月1日現在の会員数は2729名で、理事長は佐久間重光

組織概要

競輪の創設と共に、各地に結成された競輪の選手会を全国的に統合するため、1951年5月9日に『日本プロフェッショナル・サイクリスト連合』として結成され、翌年4月より社団法人日本競輪選手会(以下、選手会)として正式に発足した。

選手会支部は37都道府県に設置されており、競輪選手はいずれかの支部に所属しなければならず、無所属の場合は競走の斡旋をJKAから拒否される。また選手に対し非常に強い権限を持っており、事実上、選手の雇用主としての側面もある(退職金の支給額に関する権限もある)。一般の報道などで競輪選手の身分を紹介する際には、日本競輪選手会またはJPCU所属と表記されることが多い。

役員は、理事長1名・専務理事1名・常務理事2名・常任理事8名・理事7名・監事3名(内、公認会計士1名)となっている。うち理事長・専務理事・常務理事は常勤役員。選手会の役員は競輪選手ではあるものの、競走へはあまり参加していない。これは選手会の業務が忙しいためと言われる。そのため何年も競走へは参加していない幹部も多い。しかし特別に登録消除(引退)にはならない規則となっている[1]

競輪選手が競輪以外の自転車競技に関わる時は、関連団体の「日本プロフェッショナルサイクリスト協会」(Japan Professional Cyclist Association・略称JPCA) を通して行なっている。なおJPCAは競輪以外のプロ自転車競技選手も登録している。

近年では競輪とは関係ない独自の事業を行って選手会への積立金を立て、会員(選手)に還元する試みを行っている。

選手は、選手会に入会すると同時に共済会(負傷や休業に対する補償を行う)にも入会するシステムになっているという[2]

選手会役員

平成24年9月現在の役員[3]

役職 氏名 所属支部
理事長 佐久間重光 三重
専務理事 坂巻正巳 茨城
常務理事 安田光義 広島
常務理事 田中八郎 静岡
常任理事 星進一 宮城
常任理事 水島洋一 群馬
常任理事 吉田晴行 神奈川
常任理事 一丸安貴 愛知
常任理事 古原勝己 大阪
常任理事 鈴木啓一 山口
常任理事 野本博俊 高知
常任理事 小西浩一郎 熊本
理事 佐久間信司郎 福島
理事 太田真一 埼玉
理事 一村好伸 東京
理事 篠田宗克 千葉
理事 田中祥之 奈良
理事 藤田剣次 福岡
理事 原司 佐賀
監事 福田匡史 栃木
監事 藤原富雄 岡山
監事 三浦悟 公認会計士

選手会支部

平成24年12月現在の支部と支部長(または代行)[4]

支部名 支部長名(支部長代行)
北海道 俵信之
青森 高谷雅彦
宮城 星新一
福島 佐久間信司郎(金古将人
茨城 坂巻正巳(宮本秀人
栃木 福田匡史
群馬 水島洋一
埼玉 太田真一
東京 一村好伸(南雲孝之
新潟 原田則夫
千葉 篠田宗克
神奈川 吉田晴行
静岡 田中八郎(黒田直記
愛知 一丸安貴
富山 宮越大
岐阜 藤原誠
三重 佐久間重光(片岡浩也
福井 渡辺航平
滋賀 岡田裕康
京都 山下大輔
大阪 古原勝己
兵庫 徳丸佳克
奈良 田中祥之
和歌山 池田智毅
岡山 藤原富雄
広島 安田光義工義房
山口 鈴木啓一
香川 馬場圭一
徳島 高田健一
高知 野本博俊
愛媛 梶應弘樹
福岡 藤田剣次
佐賀 原司
長崎 阪本正和
大分 後藤太
熊本 小西浩一郎
鹿児島 四元慎也

エピソード

  • 他の競技の選手会と違い、競輪の選手会はマスコミやファンにはあまり人気があるとは言えない。これは1989年に開催予定だったKEIRINグランプリ'89を、賞金の値上げ闘争の代償に中止へ追い込んだことが始まりとされる。この際に「ファン無視」と当時のスポーツ新聞は大々的に書きたてた。その後も出走ゲートに選手が揃ったにも関わらず、先頭誘導員に出走拒否命令を下し、開催が中止になったこともある。
  • 選手へのペナルティを参加自粛要請という形で、JKAとは独立して行うこともあり、しばしば二重制裁と言われる。
  • 松本整が引退前年のレースで失格を連発した際に、選手会が先述の「二重制裁」を加えたことついて、松本整は「選手会は僕を守ってくれなかった」と反発した。結局、松本整はそれまでのS1からいきなりA級に降格を決められたことや、自身を守ってくれなかった選手会に反発し、2004年(平成16年)の高松宮記念杯競輪の優勝を花道に引退した。
  • 2013年12月に、現役18選手の選手会脱退表明がなされた。

脚注

  1. ^ 競輪に係る業務の方法に関する規程』第83条2(1)。現理事長の佐久間重光も近年は競走に出走しておらず事務に専念している。
  2. ^ スポーツニッポン・2014年2月26日付 20面「本紙評論家・井上茂徳の目」
  3. ^ 一般社団法人日本競輪選手会役員一覧
  4. ^ 競輪資料室

関連項目

外部リンク

各支部