日下貝塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。X-enon147 (会話 | 投稿記録) による 2019年1月18日 (金) 07:22個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (style)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

地図
地図
日下貝塚の位置(大阪市内)
日下貝塚
日下貝塚(大阪市・東大阪市地図)

日下貝塚(くさかかいづか)とは、大阪府内で最東にある貝塚

時代

縄文時代から古墳時代の遺跡である。

所在地

大阪府東大阪市日下町2-7丁目

風景写真のギャラリー

立地

  • 生駒山地西麓の日下川右岸の扇状地末端部に立地する。
  • 紀元前約6000年-前約5000年頃には、日下貝塚は海の近くに立地していた。
  • 縄文海進により海水が河内平野へ進入し、生駒山麓まで海が迫っていたためである。
  • その海は河内湾と呼ばれている。

標高

23.8m

出土物

魚介類

淡水貝のセタシジミが99%を占める。出土したセタシジミの大きさを測定すると24-30mmのものがほとんどである。

セタシジミは生後6年で、28mmに成長する。寿命は最大8年。

1960年の発掘で第3ピットから出土した貝殻の総数は、約46900個。

1966年の発掘で厚さ1m以上の貝層が出土した。(魚介類のギャラリーの写真参照)

日下貝塚出土の魚介類

(注)チリメンカワニナは汽水域で生息出来る貝なので、淡水貝・海水性の貝の両方に記載した。

魚介類のギャラリー

魚介類以外

  • 人骨 34体以上。そのほとんどは屈葬で、身体は仰向け・横・うつ伏せなどの状態で葬られ、抜歯痕が多く認められる。
  • 馬骨 2017年に覚張隆史氏(金沢大学)が、馬骨の放射性炭素年代測定を実施し、4世紀後半から6世紀中頃と推定。
  • 土器
  • 石器
  • 骨角器
  • 土偶
  • イノシシ・シカ・イヌ・ウサギの骨

出土遺構

  • 縄文後期 竪穴住居1 石囲炉 貝塚
  • 縄文晩期 土壙墓31 埋設土器(甕棺墓)4 土坑 ピット
  • 時期不詳 イヌ埋葬土壙

発掘回数

これまで14回発掘調査が行われている。      

交通アクセス

参考資料

  • 藤岡謙二郎「中河内郡孔舎衙村日下遺跡」(『大阪府史蹟名勝天然記念物調査報告』12、1942)
  • 堅田直「東大阪市日下遺跡」(1967)

脚注

関連項目

外部リンク

座標: 北緯34度41分31.7秒 東経135度38分53.9秒 / 北緯34.692139度 東経135.648306度 / 34.692139; 135.648306