方向・社会民主主義

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スロバキアの旗 スロバキア共和国の政党
方向・社会民主主義
SMER-sociálna demokracia(SMER-SD)
党首 ロベルト・フィツォ
成立年月日 1999年11月8日
国民議会
83 / 150   (55%)
(2012年3月10日)
政治的思想・立場 中道左派社会民主主義
国際組織 社会主義インターナショナル
欧州社会党
公式サイト SMER-sociálna demokracia
欧州議会の会派は社会民主進歩同盟所属
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方向・社会民主主義またはスメルスロバキア語: SMER-SD, SMER-sociálna demokracia)は、スロバキア共和国社会民主主義政党スロバキア共和国国民議会の第一党で、社会民主主義政党の国際組織である社会主義インターナショナル加盟政党である。本項では前身の「方向」(スメル、Smer)についても述べる。

概要

方向(SMER)

1999年に発足した第一次ミクラーシュ・ズリンダ政権に連立与党として加わった社会民主主義政党、民主左翼党(SDĽ : Strana demokratickej ľavice)副党首のロベルト・フィツォが同年12月、自らの処遇への不満と、ベネシュ布告の廃止を求める少数民族政党のハンガリー人連立党(SMK : Strana maďarskej koalície)が同じ連立与党として政権に加わったことへの反発から同党を離党し、自らが党首となって結成した政党である(11月8日政党登録)。

Smerはスロバキア語で「方向」または「道標」を意味する。結成当初は経済政策における立場を明確にせず、既存の政治勢力の不正・腐敗を批判しつつ、フィツォの個人的カリスマに依拠する形で支持率を拡大。この間、自党のキャッチフレーズとして"tretia cesta"(第三の道)という名称を用いた。

2002年国民議会選挙では得票率13.45%で23議席を獲得、第三党となった。この選挙でほかの中道左派政党が軒並み全滅したことから、次第に政治的立場を中道左派路線にシフトした。

方向・社会民主(SMER-SD)

中道左派路線を明確にしたSMERは2004年12月、社会民主主義政党のSDĽ、社会民主オルタナティブ(SDA : Sociálnodemokratická alternatíva)、スロバキア社会民主党(SDSS : Sociálnodemokratická strana Slovenska)などの社会民主主義系の諸政党を吸収し、党名を「Smer-SD」(方向・社会民主主義)に変更した(2005年1月18日政党登録)。社会民主主義路線を明確に打ち出し、欧州連合加盟国の社民主義政党や労働運動組織で構成する欧州政党欧州社会党加盟候補政党となった。

2006年国民議会選挙では得票率を倍増の29.14%とし、50議席を獲得して第一党となった。選挙後、民族主義政党のスロバキア国民党(SNS : Slovenská národná strana)およびポピュリスト政党の人民党・民主スロバキア運動(ĽS-HZDS : Ľudová strana - Hnutie za demokratické Slovensko)と連立し、フィツォが首相に就任した。排他的ナショナリズムの立場を取るSNSと連立政権を組んだことから、欧州社会党は2008年2月までSMER-SDの加盟候補資格を停止した。

2010年国民議会選挙では、得票率34.79%で前回を上回る62議席を獲得し、引き続き第一党の座を確保した。しかし連立相手の人民党・民主スロバキア運動(ĽS-HZDS)が議席阻止条項である5%の得票率を得る事ができず議席をすべて失い、SNSも改選前の20議席を大きく下回る9議席にとどまって共に惨敗。過半数を維持できなくなった。フィツォは選挙後、規定に基づきガシュパロヴィッチ大統領から首相指名を受けたものの、第二党のスロバキア民主キリスト教連合・民主党(SDKÚ-DS)など中道右派4党がSMER-SDとの連立を拒否[1]したため、代わってSDKÚ-DS副党首のイヴェタ・ラジチョヴァーによる中道右派連立政権が発足し、SMER-SDは野党に転じた。2012年3月10日に繰り上げ実施された2012年スロバキア国民議会選挙では83議席と単独過半数を制し、政権奪回に成功した[2]

脚注

参考文献