斎藤利綱

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斎藤利綱
時代 室町時代 - 戦国時代
生誕 享徳3年(1454年
死没 不明
別名 弾正忠[1]、式部大輔[2]・伊豆守[2][1]
主君 土岐成頼土岐政房
氏族 美濃斎藤氏
父母 斎藤利永
兄弟 利藤妙純利隆
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斎藤 利綱(さいとう としつな)は室町時代から戦国時代武将歌人

斎藤利永[注釈 1]の子。兄弟に斎藤妙純[1][3][4]長井利安[1][4][2]長井利隆[4]。通称は弾正忠[1]、式部大輔・伊豆守[5]

経歴

明応4年(1495年)に土岐氏の家督争いにより船田合戦が起こり、正法寺の戦いでは利安とともに古田氏討伐に向かう。翌明応5年(1496年)城田寺の戦いで墨俣に布陣している。明応7年(1498年)連歌師宗祇より古今伝授を受け、宗祇から『古今和歌集』を譲り受けた。明応8年(1499年)、宗祇を介して三条西実隆より3月20日に『古今和歌集』の写本に奥書染筆を貰う。また小笠原元長と親交深く、『弓馬故実』を伝授されている。永正年間に日吉神社(岐阜県安八郡神戸町)の三重塔を再建した[6]

人物・逸話

連歌に優れ、作品が『新撰菟玖波集』に収められている。三条西実隆の日記『実隆公記』によれば『古今和歌集』『愚問賢注』の写本の奥書染筆を請うたり、十首歌を詠ずるなど文武両道の武将であった。故実にも通じ、『家中竹馬記』の作者であり、『土岐家聞書』の作者であるとも。

脚注

注釈

  1. ^ 『古代氏族系譜集成』の斎藤氏系図では、利綱は斎藤利藤の子かつ妙純、利安の兄弟とされる[1]が、利藤は妙純の兄であり親子関係は誤伝であると考えられる。

出典

  1. ^ a b c d e f 宝賀 1986, p. 1223.
  2. ^ a b c d 黒川 1915, p. 24.
  3. ^ 東京 1882, pp. 78–79.
  4. ^ a b c 『百家系図』
  5. ^ 美濃国諸旧記[2]
  6. ^ 日吉神社の三重塔立札[要文献特定詳細情報]

参考文献

  • 朝日新聞社 編『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版、1994年10月22日、2464頁。ISBN 4023400521 
  • オープンアクセス黒川真道 編『国立国会図書館デジタルコレクション 美濃国諸旧記・濃陽諸士伝記』国史研究会〈国史叢書〉、1915年7月26日。 NCID BN08617280https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948838/20 国立国会図書館デジタルコレクション 
  • 宝賀寿男「【閑話休題】 春日局の系 ― 美濃斎藤氏」『古代氏族系譜集成』 中、古代氏族研究会、1986年4月。 NCID BN00924708 
参考資料