慕容暐
幽帝 慕容暐 | |
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前燕 | |
3君主 | |
王朝 | 前燕 |
在位期間 | 360年 - 370年 |
都城 | 鄴 |
姓・諱 | 慕容暐 |
字 | 景茂 |
諡号 | 幽皇帝 |
廟号 | 無 |
生年 | 350年 |
没年 | 384年 |
父 | 慕容儁(第3子) |
年号 | 建熙 : 360年 - 370年 |
慕容 暐(ぼよう い、拼音:Mùróng Wĕi)は五胡十六国時代の前燕の第3代君主。苻堅の攻撃を受け前燕が滅亡した際の皇帝である。
生涯
350年、初代皇帝慕容儁(烈祖)の3男として生まれる。兄に皇太子である慕容曄がいたが早世したため、父から皇太子に指名された。360年、父の死去により即位して第2代皇帝となる。
若年のため、父の死後は叔父の慕容恪の補佐を受けた。慕容恪は善政を行ない、幼帝のもとで前燕は全盛期を迎えている。しかし慕容恪の死後、大叔父の慕容評が実権を握ると、叔父の慕容垂が前秦に亡命、前燕は収賄政治のために腐敗が進み、それに従って国力も衰退した。そして370年、前秦の苻堅による侵攻を受けて前燕は滅亡し、慕容暐は苻堅に降伏して長安に身柄を連行された。
384年、苻堅の暗殺を計画したとして殺害された。弟の慕容泓・慕容沖は逃亡、西燕を建国した。
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