従野孝司

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従野 孝司(よりの たかし、1950年10月19日 - )は日本の元レーシングドライバー兵庫県出身。片山義美の実弟(異父弟のため名字が異なる)。千葉県在住

最初は2輪モトクロスからレース活動を開始。実兄である片山義美が主宰した神戸木の実チーム(カワサキ系2輪チーム)で腕を磨く。同チームには後に4輪でもライバルになる星野一義歳森康師が在籍していた。

4輪に転向し兄・片山が所属するマツダと契約。マツダのワークスドライバーとして活躍する。サバンナRX3などのツーリングカー、富士グランチャンピオンレース、グループ5仕様のRX7、グループCカーによるル・マン24時間レースなどで、常にロータリーエンジンのマシンで活躍する。ル・マン24時間レースには通算11回出場した。しかし1992年の秋、バブル崩壊でマツダがレース界から撤退したことをきっかけに引退。

マシンの開発能力に優れたレーサで、マシン挙動を正確にエンジニアに伝えるとともに、自らのアイディアをマシン開発に反映させていた。特にマシンセッティングを変更した場合はその変更内容がタイムに確実に反映されるレーサーであった。