建昌府

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建昌府(けんしょうふ)は、中国にかつて存在した末から民国初年にかけて、現在の江西省撫州市南東部に設置された。

概要

979年太平興国4年)、北宋により撫州南城県に建昌軍が置かれた。建昌軍は江南西路に属し、南城・南豊新城広昌の4県を管轄した[1]

1277年至元14年)、元により建昌軍は建昌路総管府と改められた。建昌路は江西等処行中書省に属し、録事司と南城・新城・広昌の3県を管轄した[2]1362年朱元璋により建昌路は建昌府と改められた。

のとき、建昌府は江西省に属し、南城・南豊・新城・広昌・瀘渓の5県を管轄した[3]

のとき、建昌府は江西省に属し、南城・南豊・新城・広昌・瀘渓の5県を管轄した[4]

1913年中華民国により建昌府は廃止された。

脚注

  1. ^ 宋史』地理志四
  2. ^ 元史』地理志五
  3. ^ 明史』地理志四
  4. ^ 清史稿』地理志十三