広瀬久政
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広瀬 久政(ひろせ ひさまさ、1865年3月13日(慶應元年2月16日) - 1939年(昭和14年)9月28日)は、日本の政治家、山梨県の名望家。衆議院議員(3期、立憲政友会)。
略歴
[編集]甲斐国山梨郡下於曽村(現在の甲州市)に広瀬久光の長男として生まれる。和仏法律学校(現・法政大学)で学び、1889年(明治22年)7月に七里村会議員、東山梨郡会書記、1891年(明治24年)8月に東山梨郡会議員、同会参事会員、1892年(明治25年)1月に山梨県会議員となり、1902年(明治35年)8月に第7回衆議院議員総選挙に出馬し当選する(以後3期連続当選)[1]。
親族
[編集]- 妻 さと(東八代郡祝村(現在の甲州市)、雨宮彦兵衛の三女)
- 長男 広瀬久忠(厚生大臣、貴族院議員、参議院議員)
- 長女 内藤文子(中巨摩郡常永村(現在の中巨摩郡昭和町)、内藤章(東京商科大学教授)と結婚)
- 二男 網野善右衛門(東八代郡錦村(現在の笛吹市)、母親の兄弟である先代網野善右衛門(大地主、山梨県多額納税者)の長男で義叔父にあたる網野善一の長女幸枝と結婚、同人の婿養子となり勝丸から善右衛門に改名。網野善彦の父)
- 二女 大村静子(東山梨郡加納岩村(現在の山梨市)、大村啓太郎(横浜正金銀行勤務)と結婚)
- 三男 名取忠彦(甲府市山田町、名取忠愛の次女淑子と結婚、同人の婿養子となり繁から忠彦に改名。(山梨中央銀行頭取))
- 四男 川村茂久(東京府、三井物産取締役 川村貞次郎の長女可染と結婚、同人の養子となる。(外交官、甲府市長))
- 三女 雨宮梅子(東八代郡祝村(現在の甲州市)、雨宮義郎(東京電燈勤務)と結婚)
- 弟妹に、広瀬貢(七里村長)、雨宮亘、風間久高、 若尾璋八、広瀬為久(衆議院議員)、網野まつの(網野善一妻)、広瀬猛、神戸久誠(神戸挙一の娘婿)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院事務局 編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 『山梨県紳士録』(山梨県紳士録刊行所、1938)