岩田幸雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Bcxfubot (会話 | 投稿記録) による 2022年5月17日 (火) 22:40個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (外部リンクの修正 http:// -> https:// (www.bunka.go.jp) (Botによる編集))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

いわた ゆきお

岩田 幸雄
生誕 (1937-01-27) 1937年1月27日(87歳)
出身校 山口大学文理学部英米文学専攻[要出典]
職業 山口放送代表取締役会長
テンプレートを表示

岩田 幸雄(いわた ゆきお、1937年1月27日[1] - )は、山口放送 (KRY) の代表取締役会長である。

経歴

山口大学文理学部を卒業後[要出典]、1959年4月に山口放送に入社[1]

1988年7月からテレビ制作局長を、1989年6月から取締役テレビ制作局長を、1993年6月から常務取締役総務本部長を、1999年7月から専務取締役総務本部長を務めた後、2006年6月に山口放送の代表取締役社長に就任。2018年6月から子会社であるKRYプロモーション(山口放送本社内)の代表取締役社長を務めた後、2019年6月に山口放送の代表取締役会長に就任する[1]

制作・業績

  • 報道課制作[要説明]の頃、ディレクターとして、同社が初めて日本民間放送連盟賞を受賞した1972年(昭和47年)の『29年目の戦傷』(山口県柱島沖で爆沈した戦艦陸奥の引き揚げをテーマにした作品)で社会報道番組部門の優秀賞を獲得する。“陸奥もの”としては7本目の作品であり、3年半に及ぶ取材の中で8本の番組をつくっている。1979年(昭和54年)に『聞こえるよ、母さんの声が…』で文化庁芸術祭大賞を受賞した[2][3][4]
  • 山口放送のTVドキュメンタリ-『ふたりの桃源郷(最終章)』(『NNNドキュメント6月26日[いつ?])制作に携わっている。内容は、老夫婦とそれを支える家族の物語。2008年(平成20年)日本放送文化大賞を受賞した前作『山で最後を迎えたい ある夫婦の桃源郷』は93歳で夫が没するまでを描いている。最終章は、妻が93歳で亡くなるまでで、取材開始から23年間の映像の再編集に、夫の死からの5年半を加えている。23年という息の長い取材だからこそ描くことのできたふたりの人生であり、ディレクタ-も何人か代替わりして引き継いで制作されている。3本目の作品である[5][6]

脚注